中津鉱床に行ってきた
この前の日曜日、秩父鉱山にまた行ってきました。
実は前日の土曜日、仲間と共に六助探索に行く予定だったんですが、あいにくの雨で中止に。
でも、石掘りモードに入っていて、どうにもこうにもって感じだったんで、単身で石掘りに行くことにしました。
どこに行こうか迷ったんだけど、急に決めたので、下調べなしで行ける秩父鉱山中津鉱床を目的地にしました。中津鉱床は97年頃に登ったっきりですんで、12年ぶりです。かなり状況が変わっているかな…。ここではザクロ石(ガーネット)しかとった記憶がないので、何が採れるやら…。
自宅を7時頃出発して、最寄りのこまどり荘に到着したのは10時前。こまどり荘の駐車場に駐車し、作業着に着替え、身支度を調えて山には入りました。
桃の窪と呼ばれるズリの下端部には20分ほどで到着。
この辺りにはトロッコだのヘルメットだのが落っこちてて、閉山した鉱山ムードがばっちりです。
ここまでは実は去年の夏に雨の中きているんだよね。こっから上は12年ぶりです。
この桃の窪下部のズリは黄鉄鉱などの硫化鉱物の塊が多いんだけど、水が溜まる場所みたいなんで結構みんな腐って褐鉄鉱化してるんだよねぇ〜。一応、あるよっつうことで、黄鉄鉱は拾ってきたが…
当時の採集記録によると、たしかここから左の斜面に道がついていたはずだが、見あたらない…。それっぽい踏み跡をおっかけるがそれもなくなり、仕方なく桃の窪のズリの端っこをほとんど直登の状態で登り、上部の鉱山跡の平場に到着。
この平場には、トロ線の跡やら作業小屋やら坑口があるんだけど、だいぶ廃れてきている感じでした。小屋もボロボロになってきていたし…。
トロ線とトロッコ(トロ線の終点になっていて、その下は桃の窪へと続く斜面、たぶんここからズリを捨てたのかと…)
作業小屋の中には巡視記録がチョークで書かれています。
これは12年前と変わらず…
さらに、この平場周辺を探索すると、12年前には見つけられなかった(というかその時はあんまり探索しなかったんだけどねぇ〜)遺構を発見しました。
コンクリートで作られたかなり大規模な構造物です。
ちょうどトロ線の平場と高さがあっているのが構造物の上部の部分で、そこからダストシューターのように複数の穴と滑り台状ものがあり、一段下がった下の平場に建物が建っていたような雰囲気です。
たぶん、選鉱場跡かと思われます。
この上部の平場は細長く、東西に500mくらいあるかな、その西端にこの構造物があります。そして東端には坑口、西の端に選鉱場、それを繋ぐようにトロ線が敷かれ、中間くらいに桃の窪に向かってズリ石を捨てるようにトロ線が分岐しています。
推測ですが、おそらく東端の坑口から西に向かって、トロッコで鉱石やスリ石が運ばれ、途中の桃の窪の上あたりでズリ石は下に捨てられ、鉱石はその先の選鉱場上部まで運ばれて、選鉱場の上部から選鉱場へ鉱石を滑り下ろさせたのでしょう。
先ほどの写真のポイントのところが、トロ線の分岐点のようです。
まあ、あくまでも推測ですが…
この中津鉱床は、昭和40年代まで稼働していましたんで、まだまだたくさん遺物がのこっています。これもだんだんと自然に還っていくのでしょう・・・。
次回は、ここの石について書きます。
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