ロバのコラム

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親父が死んだ

親父が死んだ・・・

月曜日の未明、親父が他界しました。
享年65歳。
あまりに早すぎる死でした。
2000年の肺ガンにはじまり、2003年の膵ガン(膵頭部ガン)と、ガンに悩まされた晩年でした。
特に、2003年の膵ガンは5年生存率13%と言われる難病でしたが、早期発見だったために手術でなんとか切り抜けました。
その後の抗ガン剤治療でなんとか5年は生きながらえましたが、5年後の2008年、その膵ガンに飲み込まれました・・・。

2008年に入って糖尿病を発症、
今考えるとこれが、ガンの逆襲の始まりだったのだと思います。
一般的に膵頭部ガンの手術では、膵臓の前半分(膵頭部)を摘出し、もう半分(膵尾部)を残します。これは、膵尾部で主に作られているインシュリン生産という仕事を温存するためです。インシュリンは、血液中の糖成分をコントロールします。このインシュリンが分泌されなくなると、糖尿病が発症します。
そうすると、糖尿病を発症したのであれば、残した後ろ半分の膵臓(膵尾)がガンに冒され、インシュリンの生産ができなくなったのだ、と考えられます。
その後夏頃になると、事態はさらに悪化し、抗ガン剤が効かなくなり、腫瘍マーカーの値が鰻登りに増加してゆきました。
これは、おそらく、ガンが膵臓からあふれ出し、他の臓器への移住を開始し始めたのでしょう。
抗ガン剤治療は、「効かなくなったらすぐやめる」がセオリーですから、この時点で抗ガン剤治療は中止となりました。
抗ガン剤をやめた途端、ガンの活動はさらに活発化、膵臓由来の腫瘍マーカーは、測定上限値の5万ユニットを突破しました。これが10月頃、このあたりから徐々に父は衰弱してゆきました。
11月半ば頃から、食事を摂ることがままならなくなり、かかりつけの先生からも緩和ケアについてすすめられるようになります。
そして、12月初めに検診のために病院に付き添っていき、MRI画像を見て、愕然。肝臓の中はたくさんの白い点々が・・・。この画像を見て、本人はもとより、私たち家族も残された時間が少ないことを確信しました。
そして、12月11日、入院・・・そして、月曜未明、父は旅立ちました。

膵ガンを発症した時点で、覚悟はしていました。
しかし、やはり実際に死に直面すると・・・、ため息しかでませんね。
ただ、日々衰弱し、苦しんでいる父の姿は見ていられないほど、つらいものでした。
そして、末期の人間にこの苦しみから逃れるすべが「死」以外にないのであれば、その苦しみから解放された現在、ぼくはある意味でほっとしています。
回復の希望がない人に「頑張れ」とは言えません。
希望があるから「頑張れる」のであって、頑張っても永遠に「苦しみ」から逃れられない人に、「頑張れ」という言葉は全く意味の持たない、むなしいものとなるのです。
もちろん、父ももっと生きたかったでしょうが、それは苦しみの地獄のない生活がある、「生きる」でしょう。
まあ、ホッとしている反面、少しさびしいですね
まとまりがなくなりましたが、この辺で・・・
今日はお通夜です。


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