ロバのコラム

『ロバのティールーム 』 https://www.robanotearoom.com のコラムです。

さみしい男 その2

このブログ、mixiでも同じ内容を載せているけど、「さみしい男」というタイトルで書いた途端、若い女性を名乗る人からメッセージ(mixi内)が来た。笑ったね。たぶん業者か詐欺かそのたぐいだろうけど、ホント、タイトルだけで中身見ないで片っ端からメッセージ送ってるんかな?
まあ、そんなことはいいとして、昨日の続き。

「さみしい男」 諸富祥彦著 ちくま新書356
http://shinshomap.info/book/4480059563.html

本書でいう「働きたくない男」は、ホントの意味でズボラで怠け者というわけではない人を指します。『時間の許す限り働き続ける』という「労働至上主義」対して疑問を呈する人、または一定の距離を置く人、または時間稼ぎをして労働至上主義というイデオロギーに取り込まれる猶予を探す人などを本書では「働きたくない男」としています。
これ、ぼくそのものだなぁと感じました。というのも、ぼくの父はいわゆるモーレツサラリーマン(死語かな)でした。僕の子供の頃などは、朝早くから夜遅くまで、土日も休まず働いていました。たぶん休み取っていたのは月に1回ぐらい。こんな父を見ていた私は、社会とは恐ろしいところだ、と感じたものです。社会に出たら最後、就職したら最後、全く自由がなくなるのではないか、と子供ながらに思ったものです。
そんなぼくも歳を重ね、中学・高校になると、イヤでも進路の選択を迫られます。高校の時、理科と社会の好きだった僕は、迷った末に理科系を選択します。この選択は、後になって(今になって)間違いだったと思っています。しかし、その当時のことを考えると最終的に理科系に行くと決めた理由は、たぶん、就職するときに営業職になりたくなかったからだと思います。それは父が営業職であり、少なくとも僕には、時間的な自由がきかず、夜はお酒に付き合わされる職業が営業職だと思っていて、それから最も遠いだろうと思われる研究開発技術系職種のほうが不自由から逃れられる可能性が高いと思ったからかもしれません。
 さらに大学進学後もなるべく就職までに時間を稼ごうとして、大学院まで行ってしまいました。確かに研究が面白かったのもありますが、それよりもなるべく就職を遅らせたいという無意識の叫びがあったんだと思います。大学院といっても、一流大学の大学院ではありませんから、修了したところで大してメリットもないですし、それもわかっていました。ここまでは、明らかに守りの人生ですね。
 こうして逃げ回っていた人生がぼくの前半の人生です。その後、就職後に、大学の文系に入り直したりしているうちに、だんだん、逃げの人生から脱却できてきたような気もします。
 また、就職後もやり方次第で、気の持ちようで不自由な労働至上主義から逃れる、又は戦うことができることがわかってきたので、逃げの人生から脱却できたのかも知れません。まあ、それ以前に、わりとのんびりした会社に就職したのも脱却できた理由の一つかな。
 なんだか告白録になってしまったなぁ〜。
まあ、本書に登場する「働きたくない男」は、大学卒業しても就職せずにフリーターになったり、働かないことを実践する「ダメ連」の人たちであったりと、逃げるのではなくもっと積極的に「労働至上主義」に対抗している人たちですが・・・。根は僕と同じですがね。
 このように本書の前段で登場する「さみしい男」は、積極的にバリバリ働かない人たちのことを指しています。それも、労働至上主義者から見た視点でバリバリ働かない覇気の無いという意味での「さみしい男」。でもこの「さみしい男」は、別の視点から見れば決して元気のないヘタレではないのだ、と論じているのです。
そして、後半から登場するのは、「労働至上主義」からこぼれ落ちた「さみしい男」の話。この続きは次回また。

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