ロバのコラム

『ロバのティールーム 』 https://www.robanotearoom.com のコラムです。

千葉石シンポジウム@千葉県立中央博物館

もうひと月ぐらい前ですが…
6月11日(土)に、千葉県立中央博物館で行われた新鉱物千葉石のシンポジウムに行ってきました。

自然史シンポジウム 新鉱物『千葉石』 −その性質と成因−

というお題目のシンポジウム、時間も10時〜16時と盛り沢山!
講演も4部構成になっていて…

その前の週にたまたま発表者である門馬さん(大先生というべきか、今や国立科学博物館の研究員です)と話したところ、「千葉石だけでそんなに話ができるもんですかねぇ〜」なんて苦笑いしていたぐらいなんで、内心、どんな感じになるんだろうと思っていましたが、蓋を開けたら、いや〜楽しいシンポジウムでしたよ、はい!
やはりいろんな切り口で見ると、議論はいろいろ出てくるわけで…、1日がかりでも十分な話題ですw

千葉石については、ぼくはブログで何度か触れていますが…


過去のブログ
2011/2/16 「千葉石」ついに新鉱物に登録!
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20110216
2011/2/17 「千葉石」の続報
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20110217
2011/3/11 ちょっと間が開いたが、千葉石ネタ
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20110311
2011/4/25 同志会例会_20110424
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20110425


まあ、千葉石はボクにとってはちょっとした祭りだったわけで、その集大成にふさわしいイベントです。
10時からシンポジウムは開催ですが、それよりちょっと前に現地入りして展示を見ておきたいと思い、家を7時前の出ました。正味2時間はかかるみたいです…、千葉遠い…
さいたま市の自宅を出て、南浦和武蔵野線に乗り換え、さらに西船橋総武線に乗り換えます。西船橋の時点で、電車が若干遅れていることが判明、千葉駅発9時発のバスに乗れないじゃ〜ん…
結局、千葉駅からバスに乗ったのは9時10分、そして博物館に到着したのは9時40分ぐらいになっていました…。
もう少し早くつきたかったなぁ…

バスの中で同志会のてるてるさんと会い、合流。博物館には一緒に入りました。


千葉県立中央博物館の入口(朝は雨が降っていたので、夕方の帰り際に撮った写真)>


千葉県立中央博物館の全景>

ほとんど時間がなかったですが、とりあえずチケットを購入し千葉石の展示をざっと見てから、シンポジウムのあるホールに向かいました。
ホールにはすでに石採り仲間の大佐と軍曹が到着していました。
ホールのキャパは200人ぐらいかな。で、聴講者は100名程度ってとこでしょうか…
制服を着た高校生と思われる一団がいますが、あれは地歴部とか地学部の連中か…
あと、見覚えのある方がちらほら…、同志会の方もちらほら…


<シンポジウム会場(地下のホール)>

ほどなく、シンポジウムが始まりました。

トップバッターは、この千葉石の発見で一躍鉱物界のスターダムに上り詰めた門馬大先生です。
過去のブログ(2011/4/25 同志会例会_20110424)でも挙げていますが、内容については同志会例会においての講演とほぼ同じ、
若干違ったのは、生成条件の違いによって二酸化ケイ素は様々な種類の鉱物になり、その中で千葉石はどのような位置づけなのか、という説明が詳しかったところかな…
鉱物のシロウトも聞いているだろうという門馬さんの配慮からこのような内容になったのでしょう。

2番目の講演者は、本博物館の学芸員の方による「千葉石の地質環境」というものでした。
千葉石が発見された産地の地質状況、地層の様子、千葉石の生成環境の推定など、千葉石がどのような過程を経て生成されたのかに関する講演で、非常に意義深いモノでした。
千葉石の発見された地層は凝灰岩質であまり熱変成を受けていないであろう地層であること、
メタンを資化する貝が共産すること、
などから、付加体のメタン湧水近くがもっとも千葉石の生成に適しているのだろう、とのことでした。
このような条件の地質状況の場所は、千葉県の房総半島北部の他、三浦半島にもみられます。
家に帰ってから、いろんな地質関連資料を調べてみましたが、上記の条件に該当する場所は日本中各地に見られることがわかり、第2の千葉石は案外すんなり見つかるかも知れません。実はぼくも第2の千葉石の産地発見を狙ってます、あはは…。

第2の講演の後、お昼になりました。
お昼休み中は、千葉石の展示の前で講演者が解説してくださいました。



<展示について解説する門馬大先生(正面向いてる白いシャツの若い人)>


午後も講演が続きます。

午後のトップバッターは産総研の方で、「千葉石とゼオライト」という題目でした。
広義の目で見れば、千葉石は包摂化合物ですので、ゼオライト(沸石)の一種だと考えられます。で、この方は合成ゼオライト一筋のようで、様々な合成ゼオライトの紹介がありました。
そして千葉石の位置づけがこうだ〜、的な話となりました。
面白かったのは、千葉石型の二酸化ケイ素の結晶構造がすでに合成されているが、
その合成に際して使われた包摂化合物の中身になる有機化合物がメタン・エタンではない、ということ。合成で用いられる包摂される側の化合物(核となる有機化合物)は、テトラメチルアンモニウム((CH3)4N)だそうです。
ですから、千葉石型のシリカの結晶骨格構造は確かに合成できるわけですが、結晶格子の中にメタン・エタンなどの低分子量アルカンを包摂した「本当の千葉石」は厳密に言えば合成されていないわけです。
すでに千葉石型結晶構造は合成できる、と聞いたとき、ぼくはてっきり千葉石が合成できたのかと思っていました。
ゼオライト合成屋さんは籠(結晶格子)のほうには興味があって、中に閉じ込められる分子には興味がないんだなぁ〜。
やはり視点が違うと、興味の対象も違うようですな・・・
すごく、この視点の違いが面白かった

休憩を挟んで、次の講演は、真の意味での発見者?である西久保氏です。
この西久保氏は、鉱物同志会にも所属されている方で、「南房総のちょっと変わった石英」を新鉱物の舞台に押し上げた張本人です。
もともとは、館山の化石マニアである本間氏(この方も西久保氏とともに発表に加わりました)が、1998年頃、産地である採石場で、化石の他に変わった石英を見つけたことに端を発します。この本間氏は、一風変わった石英千葉県立中央博物館に持ち込みました。そして、千葉県立中央博物館で調べたところ、結局石英であるという事以外わからずに、そのまま石英として一時はあつかわれます。
その6年後、たまたま博物館を訪れた西久保氏に博物館の学芸員さんが相談して、「変わった石英」は西久保氏の手に渡ります。西久保氏はあらゆる手をつくし、あらゆる方面に調査を依頼し、結果的にメラノフロジャイトの仮晶ではないか、という結論に行き着きます(この時点で1回、鉱物雑誌に発表されています。)。
さらに、西久保氏は、当時東北大で石英の研究をしていた門馬さんに分析を依頼、その結果、門馬さんが「どうも新鉱物くさい」と気がつくに至るわけです。
この千葉石は露頭からの発見より同定までに8年近い歳月を経ているわけです。
本間氏が博物館に持ち込んだのが1999年、西久保氏の手に渡ったのが2006年、新鉱物と発表したのが2008年。
西久保氏は講演で、博物館の学芸員さんが6年間大事にしまっておいてくれた、と評しておりましたが、その裏には6年間も何してたんじゃい、っという言外の意味が含まれていたかどうか…、は定かではありません。
でも6年間しまっておいてくれたお陰で、西久保氏は新鉱物の発見者として名前を残すことができたわけで、そう言う意味においては西久保氏にとってはラッキーだったのかも知れませんwww

西久保・本間両氏の発表の発表後、トリを務めたのは国立科学博物館をこのたび退官された(その後釜に門馬先生が就任しました)松原先生です。松原先生は千葉石とはまったく関係がない、日本の新鉱物の発表を行いました。結局千葉石についてはほとんど触れられませんでしたが、松原先生の発見された鉱物の面白いエピソードを聞けたので、それはそれでよかったと思います。
16時終了のはずでしたが、話が止まらなく、終わったのは10分ほど過ぎてから…。
質疑応答もほとんどなしで、講演会は終了となりました。
当たり前だ、16時半閉館ですもん…。

閉館まで、たいして時間がありませんでしたが、とりあえず展示物をざっと見学しました。

それについては次のブログで(長くなったんでここで一旦切ります)