ロバのコラム

『ロバのティールーム 』 https://www.robanotearoom.com のコラムです。

登山家・竹内洋岳さんの全8000m峰14座登頂

いやぁ、日本人初の8000m峰14座全登頂ですよ、すごい、すごすぎる・・・
竹内さん、すごいです!!


登山家・竹内洋岳さんのサイト
http://weblog.hochi.co.jp/takeuchi/


最後のひとつ、ダウラギリを登頂したのは5月でしたので、すでに前から知っていたんですが、
この前の土曜日にNHK−BSの「グレートサミッツ」で同行取材が放映されたんですよ。


もちろん録画していましたので、2度見ました・・・


あ、再放送をやるみたいなんで、見てない人、是非見てね。
再放送は、8月26日(日) 午前 10:00〜11:29 にBSプレミアムですよ!


「世界の名峰グレートサミッツ」ウェブサイト
http://www.nhk.or.jp/greatsummits/


グレートサミッツ特集「8000m全山登頂 〜登山家 竹内洋岳〜」
http://www.nhk-g.co.jp/program/documentary/great_sumits/index.html


この登山家の竹内さん、1971年1月生まれなので1971年8月生まれのボクの学年ひとつ上の方なんですよねぇ。同世代なんで親近感があります。


そう、世界には8000m峰って14座あるんですよ。


8000メートル峰wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/8000%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E5%B3%B0


で、この8000m峰を全て登るのに誰が一番早いか、ってのを30年ぐらい前かな?、競争していたんです。結果的には1986年にライホルト・メスナーという鉄人と呼ばれる登山家が驚異的な早さで成し遂げました。あ、そういえばボクの使っている重登山靴は、石井スポーツ製の「メスナー」という名称の靴です。もちろん名称の由来はこのメスナーさんです。
20年以上前に買って今でも使っている・・・(関係ないけど・・・)


ライホルト・メスナー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%83%BC


ボクは、中学時代(1983〜1985頃かな)から山オタ少年で、毎月「山と渓谷」という雑誌を買っていたんだけど、
そこでいつも書かれていたのが8000m峰14座登山競争ネタで、メスナーとイエジ・ククチカのどっちが早いか、とはやしたてていました。
その中に日本人登山家の山田昇さんもいたんだよねぇ、確か彼は当時7座ぐらい登っていたかな・・・。日本人では彼が確かトップだった。
その後、山田さんは1989年に冬のマッキンリーで遭難死したんだよな・・・。植村直己が冬のマッキンリーで消息を絶った翌年ぐらいに・・・


イエジ・ククチカ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%82%AF%E3%83%81%E3%82%AB


↑イエジ・ククチカさんは、14座登頂後にすぐ遭難死しちゃったんだね。それも1989年・・・


山田昇
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%98%87


↑この人も1989年に遭難死してるし・・・
そうそう、この山田昇さんの記念館が群馬県沼田市にあります。
沼田で採集の際には是非寄ってみてね(実はボクも行ったことがない・・・、採集の道すがら看板を見かけるんだよね)


山田昇ヒマラヤ資料館
http://kamituke.web.fc2.com/page112.html


たしか14座競争をまとめたヤマケイのバックナンバーが実家にあるはずだ、今度探してみよう。


14座競争って聞くと、この頃を思い出すよなぁ。
中学時代に山オタ少年で、ヨーロッパアルプスのマッターホルンモンブランの登頂を夢見ていた少年でした。しかし、東京にいても「しもやけ」になってしまうという末端冷え性の体でしたので、冬山に行ったらすぐに凍傷で指無くなるな、と思って山の道を諦めちゃいました。高校時代にワンゲルに入ろうとも思っていたんだけど、腰抜けですねぇ・・・
やる前にいろいろ考えちゃって、結局やらないってのが、ボクの人生の前半に見られる特徴です。
いま思うと、ワンゲルに入っておけばよかったと思っています(後の祭りですが・・・)
ですので、ほぼ同じ歳の竹内洋岳さんにシンパシーを感じるのかも知れません。
彼ほどすごい人生にはならんでしょうが、ワンゲル入ってたら人生変わったかなって・・・。こんなことばかり考えてて後ろ向きですね、まあ年取ったのかな・・・


竹内さんの話にもどす。
この竹内さんのテレビを見てて、この人はなんて気さくで正直な人なんだろう、ってのが印象でしたね。
今までの登山家にないタイプかな・・・
登山家っていうと、長谷川恒男や植村直己みたいなワガママで自己顕示欲が強い感じがしてたんだけど、竹内さんはそんな感じじゃないんだよね。なにか、こう、自然に生きてる、って感じ・・・
話すことも登山家っぽいカッコつけたしゃべり方じゃないんだ、
こう、思ったこと・感じたことを自然にすっと語りかけていく感じ・・・
好感もてますねぇ。
彼の存在自体は前から知っていたけど、実際に動画で人となりを見るのは今回が初めてでした。
なんかすぐにファンになっちゃいました。


印象的だった言葉が、「8000m峰に登るってのは、湖に息を止めて潜って底にタッチして戻ってくるようなものだ。」っていうフレーズ。
キャンプを出発したら空気が薄くなる一方なんで、体調は決してよくはならない。頂上まで行って戻ってくるまでの間に体が持つかが勝負なんだと。出発時に体調が悪いんだったらやめたほうがいいと・・・。
そして「山頂に着くまでが登山じゃない。山頂に到達してベースキャンプに戻ってきて初めて、ああ、よかったと思う」と。
まさに湖の底をタッチしただけでは、仕事の途中なんだよね。帰ってこなけりゃ仕事は終わらないんだ。


下山したときの言葉もすごく印象的だった。
「中島くんがいなかったから、たいへんだったよ〜」(笑)っての・・・
当初、ダウラギリ山頂は彼と中島くんというもうひとりの登山家がふたりで登る予定だったんです。
でも中島くんが7000m手前で高山病でダウン。
竹内さんの「中島くん、C1に降りな」の一言で彼は下山することに・・・
こういう言葉がすごく正直なんだよねぇ〜
「お前のせいで大変だったんだ!」っていう責め立てる感じじゃなく、さらっとこういうこと言えちゃうあたり、彼の人間というか彼らの間の信頼感が垣間見えたw


まあ、こんな感じの番組内容、見たくなったでしょ??


あと、追加。竹内洋岳さんのブログの「パキスタン入院顛末」が面白い!


パキスタン入院顛末
http://weblog.hochi.co.jp/takeuchi/pak_accident.html


2007年に彼はパキスタンで登山中に雪崩に遭って重傷を負ったんだが、その時の顛末。パキスタン人とのやりとりがオモロイ。
手術したいパキスタン人医師と手術させたくない竹内さんの攻防、見ものですw


さて長々と書いてしまったが・・・。とりあえずこの辺でやめとくか・・・