ロバのコラム

『ロバのティールーム 』 https://www.robanotearoom.com のコラムです。

草津スキー1 

今年も群馬県草津温泉へスキー旅行へ行ってきました。
恒例行事になりつつあります(とはいえ去年は行かなかったが・・・)

過去にもこの草津スキーでブログを書いたことがありますが・・・


2012年3月21日 「草津でスキ〜(3/2-3/4)」
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20120321


2011年3月3日日記 「草津でスキ〜」
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20110303


今年は大所帯で、つまりウチの一家(おいら・ウチの奥さま・娘2匹)と、ウチの奥さま両親の合計6名で行きました。
2月14日(金)の午後に出発し、草津のリゾートマンションに2泊して、日曜日の午前中には帰路につつくという予定でした。


初日・・・、そう、2月14日(金)は、あの関東甲信越地方の大豪雪の初日です。
お昼前の時点ですでにさいたま市でも雪が降っていて、こりゃ、中止かな、とも思っていたのですが・・・、決行しました。
奥様さまのお父さんが主導で、ぼくはついて行くだけでしたので、まあなるようになれやって感じです。


実はボクはこの2週間前に肋骨を骨折していて(ヒビが入っただけですが)、スキー場に行っても「見学」という状態だったのです。
ですので、「どうしても行きたい」というテンションでは無く、タダ単に金魚の糞という感じ・・・


3時ちょっと前にさいたま市の自宅をスタットレスタイヤを履いた奥さま実家のクルマで出発しました。すでに路面には積雪が始まっていましたが、


「まあ関東の雪だから日本海性気候の影響の強い草津にはあまり影響ないだろう」


的な感じでの出発。
関越道が閉鎖になってなきゃいいなぁ、って感じで東松山ICに下道で向かいます。
1時間弱で東松山ICに到着しますが、関越道はまだ通行止めになっていませんでした。


雪が降りしきる中、関越道を北へとひた走ります。



<雪の関越道をひた走る(運転は奥さま父)>


雪の中でも関越道は非常に順調に流れ、1時間強で渋川伊香保ICから一般道におりました。
渋川付近の雪もかなりのもんです(この時点で14日(金)17:00過ぎ)



<渋川付近の様子(14日(金)17:30頃)>


しかし、スタットレスを履いているこのクルマにはこの程度の雪は屁でもありません。
順調に距離を稼ぎます。



<中之条付近の様子1(14日(金)18:00頃)>



<中之条付近の様子1(14日(金)18:30頃)>


そして、中之条の先、群馬原町のレストランで夕食、これより上にはまともなレストランは草津までないので、いつもここで晩ご飯を食べます。草津まで行ってしまうと、店が閉まる時間になってしまうので・・・
このレストランの駐車場でちょっとスタックしかかりましたが、なんとか切り抜けました(やはり停まってしまうとダメらしい)。


その後の順調に進み、長野原草津口からの草津道路も特に影響も無く、8時半には今晩のお宿のリゾートマンションに到着。



<リゾートマンションではしゃく長女>


マンションについてテレビを付けると、関東の雪のニュースをやっていて、
「いやぁ、すごいことになってるねぇ」とまあ半ば他人事のように話しつつ、温泉に入って床につきました。
翌日のスキー場の営業についてはすこし不安がありましたが、なるようにしかならんし・・・
ということで、草津の1日目の晩がふけていきました。


つづく


草津スキー2 <孤立編>

テレ東「路線バスの旅(館山〜会津若松編)を検証してみた(1)

1月4日(土)に僕の大好きなテレ東の番組、土曜スペシャル「路線バスの旅」がやっていました。
今回は房総半島の突端の館山から福島県会津若松へ、3泊4日で路線バスだけを乗り継いでいくというものでした。


「ローカル路線バス乗り継ぎ人情ふれあい旅 舘山〜会津若松
http://www.tv-tokyo.co.jp/sat/backnumber/20140104/



<ルートの概要:館山〜会津若松


で、館山を出発して、鴨川を経て、外房を回って、茂原をとおり、1日目で佐原まで到着(佐原泊)。
そして、霞ヶ浦の南を通り、石岡を経て、2日目のお昼過ぎには水戸に到着していました。
おお!この展開はいままでなくスムーズな展開だな、と思ってみていたんですが、何を思ったのか、旅人の太川陽介は水戸から茂木・大田原方面に抜けるルートを選択、
え?なんで栃木に入っちゃうの?、と思っているウチに、栃木でハマり、ようやく福島県の白河にたどり着いたのが最終日(4日目)も午後になってから・・・
そして、結局、会津若松にはたどり着けずに郡山で終了となりました。


これを見てて、明らかに2日目の昼において水戸での選択を誤ったと直感しました。
そこで、水戸で違う選択をした場合に会津若松にたどり着けたのか、ちょっと検証してみることにしました。



<ルート図:水戸〜福島県へ>


一行が選んだルートは赤い矢印のルート。
水戸から常陸大宮へ行って、常陸大宮で一泊、
翌朝、常陸大宮〜高部車庫、高部車庫〜烏山、烏山〜西那須野、と行って、白河の関あたりを徒歩で数キロ歩いて福島県に突入していました。乗り継ぎが悪く、福島に到着したのは最終日の4日目。


ぼくが考えたルートは青い矢印のルート。
水戸から常陸太田へ行き、そこから旧里美村の川筋、もしくは水郡線の川筋を経て、矢祭町から福島県に突入するというもの。
バス路線は鉄道のない川筋のほうが充実しているケースが多いので、旧里美村(現在は常陸太田市に吸収合併)の筋について検証しました。



<さらに詳しいルート図:水戸〜福島県


まず、一行は2日目の13:30には水戸駅前にいました。
そしてその時点で、「14:39発の常陸太田行き」と「15:30発の常陸大宮行き」の2つの選択肢が有り、彼らは後者を選択しました。
前者を選択した場合にどうなっていたか、シミュレートしてみました。


まず水戸から常陸太田に向かいます。


水戸発14:39 → 常陸太田駅着(15:30頃?)<茨城交通
http://bus.ibako.co.jp/timetable/result/?no=4176&de=92



<ルート図:水戸〜常陸太田>


次に常陸太田駅より福島県との県境近くの小中車庫に向かいます。
ちょうどいい時間のバスがありますので、2日目のウチに県境までたどりつけます。


常陸太田発16:07 → 小中車庫(17:00頃?)<茨城交通
http://bus.ibako.co.jp/timetable/result/?no=660&de=3&week=1&f_from_type=&f_from_genre=&f_from=


里川までいければ歩く距離が1kmほど短くなりますが、小中車庫でも許容範囲でしょう。



<ルート図:常陸太田〜里美村〜>



<ルート図:里美村〜矢祭町〜塙町、青点線は徒歩区間


小中車庫には17時頃に着くと思うので、そこから徒歩で県境の峠(明神峠)を越え、福島県側最初のバス停である大?(おおぬかり)明神にてバスの時間を調べます。


小中車庫 → 徒歩3km程度 → 大?(おおぬかり)明神 18:00頃
                       ※バスの時間を調べる

大?(おおぬかり)明神バス停
http://busget.fukushima-koutu.co.jp/?action_timetable=1&busstop_no=5217&pole_no=0&city_no=&post_no=


6時50分と8時5分がありますので、適宜えらぶとよいでしょう。
どちらを選んでも、4日目には会津若松までは確実に行けるでしょう。
ここで2日目は終了ですが、まあここからタクるか宿の車に迎えに来てもらって、袋田温泉か、大子で宿泊するといいでしょう。


3日目は大?(おおぬかり)明神バス停からスタートです。


例えば、
大?(おおぬかり)明神発6:50  → 東舘車庫 7:08着 <福島交通
東舘車庫 7:10発 → 棚倉 ・・・


とまあ、東舘車庫からは、
 ・棚倉・白河経由で須賀川・郡山方面
 ・鮫川・石川経由で須賀川・郡山方面
の両方のコースが選べ、しかも1時間1本程度のバスが双方にあるので、3日目のうちに郡山には着けそうです。


福島交通の路線バスについては以下のリンク先でトレースできますので(バス停をクリックすると時刻表も出てきます)、やってみるとおもしろいと思います。


http://www.fukushima-koutu.co.jp/bus/map/03tanakura.html

(↑大?(おおぬかり)明神バス停はリンク先地図の一番右下です)


3日目の晩が郡山なら、4日目は磐梯熱海まで福島交通でゆき、そっから先は会津交通を乗り継いでいけば会津若松には日のあるうちにつくでしょう。


とまあ、ここまで旧・里美村のルートでの検証でしたが、おそらく水郡線の谷経由の大子町ルートでも行けるのではないかと思っています。
実はまだこちらは検証していませんので、次のブログにて検証してみます。

さよならプレマシー

新車納車まであと2日、
逆に言えば、プレマシーともお別れです。


この車ともいろんな想い出がありました。


想い出を中島みゆきの「時代」をバックミュージックに振り返ってみましょう。
(昔、テレビ東京でやっていた「テレビあっとランダム」のパクリです。


テレビあっとランダム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A0


リンク先を再生しながら読むと雰囲気出ますよ

http://www.youtube.com/watch?v=PJV_Se6T3UE



そんな時代もあったねと♪




<納車された (2005年12月)>



<エンブレムが光る (2005年12月)>



<初めての遠出、館山 (2005年12月)>



いつか話せる日がくるわ♪




<中央道を名古屋へ爆走 (2006年4月)>



<残雪の群馬県片品村 (2006年5月)>



<長野県四阿山をバックに (2006年5月)>


あんな時代もあったねと♪



<走行距離が9999kmに (2006年9月18日)>



<そして10000kmに (2006年9月18日)>



青森県八甲田までドライブ (2006年10月)>



きっと笑って話せるわ♪




<親父(故人)・お袋と南房総へ (2007年4月)>



<千葉県佐貫町の宮醤油店 (2008年7月)>



<車体にキズが!!! (2008年9月)>



だから今日はくよくよしないで♪




秩父鉱山にいったり (2008年9月)>



採石場にいったり (2009年3月)>



志賀高原にいったり (2009年5月)>



今日の風に吹かれましょう♪




<サイドモールが取れちゃったり (2010年5月)>



<娘をつれて富山に行ったり (2011年8月)>



<トンネル走ったり (2011年8月)>



まわるまわるよ時代は回る♪




<富山のひすい海岸に行ったり (2011年8月)>



<甲武信鉱山に行ったり (2011年10月)>



<鬼首カルデラのダート林道走ったり (2012年9月)>



喜び悲しみくり返し♪




<茨城のマンガン鉱山に行ったり (2013年2月)>



<長野県小谷温泉に行ったり (2013年8月)>



<後ろの席で娘がきゅうりを食ったり (2013年8月)>



今日は別れた恋人たちも♪



<長野県の小谷村に行ったり (2013年8月)>



<そしてまた秩父鉱山に行ったり (2013年9月)>



<栃木の銅鉱山に行ったり (2013年9月)>



生まれ変わってめぐり逢うよ♪



ありがとう、プレマシー
そして、さようなら・・・

北ア山行2013夏(7)<焼岳山頂から中ノ湯へ>

前回の続きです。


北ア山行2013夏(6)<焼岳山頂へ>
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20131010


前回は焼岳山頂まで書いたんだっけかな?
山頂からは中ノ湯に下るだけです。



<焼岳周辺図>



<焼岳山頂直下の鞍部で休憩する一行>


焼岳頂上直下の鞍部に荷物をデポして、空身で山頂を往復した後、あまり休みもしないで下山です。時刻はまだお昼前、ガスっていてほとんど何も見えないし、いつ雨が降り出すかもわからないので、長居しててもしょうがない、下までとにかく降りちゃおう、ということになりまして・・・
まあ、ぼく個人としては、オナカが空いていたので、ここでインスタントラーメン作ってもいいかなとも思ったんですが、みんなは行くというので・・・


ということで、中ノ湯方面に下山です。


決めたら、ちゃっちゃか、ちゃっちゃか降りていきます。
この一行は結構足が速い人が多いので、他の登山者を抜いてじゃんじゃん降りちゃいます。



<下山する仲間たち(焼岳頂上直下)>


しばらく下ると、ガスが晴れてきました。
下の方は天気がいいようだ・・・



<ガスが晴れてきた>


とにかくじゃんじゃん下ります。
ふと横を見ると、霞沢岳方面が見えますが、霞沢岳の山頂は雲の中です。



<霞沢岳方面を望む>


振り返ると、焼岳山頂も雲の中



<雲の中の焼岳山頂>


でもこう見ると、ほんと山頂部分だけ雲がかかっているなぁ



上高地方面の梓川の谷を見る>


気がつくと上高地はだいぶ向こうにいってしまいました。
上の写真の谷の奥が上高地です。


だいぶ下ってきて、雨も降る気配がないので、ちょっとここらで休憩です。
焼岳小屋以来、久々の大休止です。
ここではコーヒー・紅茶を淹れて、モモの缶詰、みかんの缶詰をほおばります。
オナカは空いてますが、下まで降りてしまおう、というので、ここでもご飯はお預けですw



<休憩地点より焼岳山頂方面を望む>


30分ほど休憩した後、さらに下山道をひたすら下ります。
このあたりで、新中ノ湯方面と中ノ湯方面への分岐点があるはずなんですが、ひたすら一本道なのでしかたなくそのまま下ります。



<ぬかるむ道をじゃんじゃん下る>


そして、気がつくと、安房峠への旧道の舗装道路に出てきました。
ここで、歩いていたのが新中ノ湯方面への登山道だと知ります。


近くにいた登山者の方から、中ノ湯方面の登山道は数年前の土砂崩れで通行止めになっていた
ことを聞きました。
地図が古くてしらんかったわいw


ここからは舗装道路をただひたすらに下って、釜トンネルの中ノ湯側坑口まで下ります。
このつづら折りの舗装道路が結構ながかったなぁ・・・



<中ノ湯の建屋>


そして、何回カーブを曲がったかわからないけど、ようやく中ノ湯の建屋を通過、
釜トンネル坑口まではまだまだ舗装道路を下ります。
それもこれも、中ノ湯方面の登山道が土砂崩れで閉鎖されたせいです・・・


もう2時をすでに回っていて、オナカもペコペコです。


そしてようやく安房峠を貫く安房トンネルの坑口が見えてきました。



安房トンネルの坑口>


この安房峠のトンネルは信州・飛騨の住民の悲願のトンネルです。
トンネルがない頃はヘアピンカーブだらけの1700mの安房峠をえっちらほっちら越えてました。しかも冬期は閉鎖になってたし・・・
このトンネルのおかげで1年中、しかも短時間で松本−高山間をつなぐことができたんだよねぇ
ちなみにこのトンネルを掘っていたときに温泉が噴出し、水蒸気爆発をおこし、多くの作業員が亡くなっております。


安房峠道路wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%88%BF%E5%B3%A0%E9%81%93%E8%B7%AF


安房峠道路
http://www11.plala.or.jp/fumin-column/road/aboutouge/aboutouge.html


あゝ安房峠
http://seadog.gifu.shotoku.ac.jp/cond/museum/maps/abo/abo_00.htm


ここまで来たら、釜トンネル坑口は目と鼻の先です。



安房トンネルを目前にちょっと休憩、舗装道路だらだらは疲れる>



安房峠旧道の冬季閉鎖ゲート>



安房道路の旧道と新道の分岐点>


やっと安房峠道路の新道にぶちあたり、左へ曲がり、釜トンネル方面へ。
右にいったら、トンネルを越えて高山にいっちゃいます(それ以前に、徒歩で通れるのか?)



梓川の流れ>


そして、梓川を渡り・・・
ようやく釜トンネル南側坑口へ。



<釜トンネル南側坑口>


ここは上高地への入り口で、ここから先は今はマイカー規制で公共交通機関しか入れません。
「今は」であって、昔は入れました。
僕らが初めて行った頃(昭和55年頃)は、車で上高地のバスターミナルまで行ったことをおぼえています。
そのときはこんなきれいなトンネルではなく、岩盤にコンクリートを吹き付けただけのトンネルでhした。



<釜トンネルと「関所」>


釜トンネル前には関所があって、一般車が入らないように監視してました。


釜トンネル前のバス停で上高地から降りてくるバスを待って、バスに乗って、車がおいてある沢渡(さわんど)の駐車場に戻りました。
沢渡のバス停の前にはお蕎麦屋さんがあったので、ここでようやく遅い昼食を・・・
もう3時回っていたんですけど、おなか空いちゃっておなか空いちゃって・・・
ほとんど朝から飯らしいメシは食ってないですからねえ・・・


沢渡から今日の宿泊地である白骨温泉は目と鼻の先、5キロ程度しかはなれていないらしい・・・
昔はすごく遠かった記憶があるが、近年、どうも沢渡と白骨温泉をつなぐ道ができたらしく、昔みたいに大回りしていかずにすむようになったそうな・・・


一行は、弟の運転するステップワゴンで白骨温泉に向かいましたとさ。
おしまい

一家総出で神田古本祭りに行ってきた

はい、毎年恒例の神田古本祭り、今年は一家総出で行ってきました。
先ほど帰宅したてのほやほや
いつもはピンで行くことが多いんですが、今年は娘たちが行きたいと騒ぐので、一家総出とあいなりました。
まあ、家族のレクリエーションっつうことで、たまにはいいでしょう・・・


最寄り駅まで車で行って、駅前の駐車場に車を停めて、電車を乗り継いで御茶ノ水へ。
車で最寄り駅まで行ったのは、娘たちが寝てしまったときのための安全策です。


御茶ノ水駅に降り立ったのは12時半過ぎ、丸善の前のワゴンを冷やかした後、ニコライ堂と日大理工学部の間の坂道を下るという、神保町に行くときに定番パターンの道を歩きます。
ボクは神保町が大好きでしょっちゅう行っていて、たぶん都内で一番安心する町なので、勝手知ったる道です。
坂を下る最中、娘たちがハラ減ったと騒ぎ出したんで、とりあえず靖国通り沿いの淡路町交差点近くにあった、とある中華料理屋でラーメンを食べることにしました。
食事後、駿河台下のすずらん通りの入り口に到着したのは2時近くでした。



駿河台下のすずらん通りの入り口>


<神田古本祭り>
http://jimbou.info/news/furuhon_fes_index.html


神田古本祭り facebook
https://www.facebook.com/pages/%E7%A5%9E%E7%94%B0%E5%8F%A4%E6%9C%AC%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%8A2013/170510333135387?hc_location=stream


まずはティーハウスタカノのワゴンセールへ。
まあ、最近では、これがほぼこの古本祭り行く目的と化しています。
「紅茶の大量買いをして、ついでに古本を見て、いいのがあったら買う」
これが最近のパターンです。


ティーハウスタカノ
http://www.teahouse-takano.com/osirase.html#bookfes2013
http://www.teahouse-takano.com/aisatu.html



ティーハウスタカノのワゴンセールの屋台>


紅茶が普段の半額で売られているんですよ。
ここでいつも大量買いです。
もう20年からの習慣です・・・
20年はやってないかなぁ、でもまあ、ティーハウスタカノに初めて行ったのは高校生の時だったので、お店とは25年来なんですよねぇ


紅茶購入後は、ワゴンをぶらぶらです。
狙っている本とかは特になく、ほんと行き当たりばったり。
まあ古本祭りは一期一会が原則で、ホントにどんな本に出会えるかは運ですね。
掘り出し物に出会えたときに喜びはサイコーです。


とはいえ、娘たちの絵本が手に入ればいいかな、とも考えていたわけで・・・



すずらん通りの様子>


今年の古本祭りはいつもの馬鹿みたいな混みようというほどでもない混みかな、という感じでした。いつもワゴンセールは土日の2日間なんですけど、今年は暦がよく、3連休中全てになったので、人が分散しているのかもしれません。


駿河台下からすずらん通り内をぐるぐる巡りながら神保町駅方面に行き、白山通りを渡って、救世軍横のさくら通りに行く、という定番パターンで2時間ほど彷徨しました。


結構、絵本のブースもたくさんあって、娘たちもたのしかったようで、よかったです。
子供が退屈するのが心配だったですが、取り越し苦労でした。



<さくら通り沿いにある古いビル>


↑このビルがいつも気になるんだよねぇ。いい味だしてて…
たぶん大正時代とかその頃のビルなんだろうなぁ・・・


と思ってググったら、日本タイ協会のビルらしい
※建設当時は、「昭和初期にあった一種の銀行、無尽会社(現在は相互銀行)の店舗」だったそうな。

http://gipsypapa.exblog.jp/16533425/


↑このホームページに昭和4年の施工とありますねぇ
へぇ〜


と、ひとしきりまわり、子供たちが疲れてきたので帰路のつくことに・・・
帰りは神保町の交差点を渡り、靖国通り石井スポーツ本店側を歩いて、ヴィクトリア横からニコライ聖堂方面に抜ける定番ルートで御茶ノ水駅へ・・・



御茶ノ水駅前のビル前で休憩>


こうして、文化の日は終わりました。


さて、戦利品ですが、


まずは紅茶、今回は、
 ・おふくろにたのまれたダージリン2ndフラッシュを100g x 2 
 ・ダージリン1stフラッシュを200g
 ・アッサムを200g 購入しました。


400gあれば3ヶ月ぐらいはもつでしょう・・・



ティーハウスタカノで購入した紅茶>


そして、次は絵本。
絵本は各社のワゴンで結構買いましたねぇ・・・
結果、6冊買ったようです。
まあ、1冊500円とか300円とかのレベルなんで・・・



<購入した絵本たち>


そしてボクが買ったのはこれ↓



山と渓谷社刊 「目で見る日本登山史」 >


山と渓谷社のワゴンで売られていた「目で見る日本登山史」という2冊組の本です(大きさはA4版)。
これが1500円で売られていたんですよ。
これは買いでしょ!買い!!


買った後、定価をみたら7800円だったのでビックリ!!!


中身をちらりと・・・



< 「目で見る日本登山史」をチラ見せ >



< 「目で見る日本登山史」をチラ見せ >



< 「目で見る日本登山史」の年表>


2冊組みの1冊は日本登山史年表でして、こちらの充実度も素晴らしい。
ヤマヤは絶対に持つべき本です。


いやぁ、これは素晴らしい!!!
江戸末期から2000年初め頃までの登山の歴史を写真でもって網羅した秀逸な本です。
これは一家に1冊必須です!


まだ何冊かワゴンにあったので、明日、古本祭りに行く方は是非、山と渓谷社のワゴンを覗いてみて下さい


※ちなみに私は山と渓谷社の回し者ではございません

北ア山行2013夏(6)<焼岳山頂へ>

前回の続きです。

<前回の日記>
北ア山行2013夏(5)<そして、焼岳へ>
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20130924



<焼岳山頂詳細地図>


こうして10時前には、新中尾峠にある焼岳小屋にたどり着きました。



<焼岳小屋に到着>


焼岳小屋はちいさな小屋で、軒下ぐらいしか休む場所がありません。
中はどうも宿泊者専用のよう・・・
雨がしとしと降っているので、軒下以外でザックを開けてお店開く気もおきません。
小屋で食事もできそうにないので、ちょっと休んだら先を急ぐことにしました。
じつはちょっとオナカが空いていたんだけど、頂上に行ったらなんか食べられるだろうと・・・


焼岳小屋
http://www.m-kamikouchi.jp/yakedake/
http://www.japanesealps.net/north/hut/yakedake_goya.html


焼岳小屋からすぐにピークへの登りが始まります。このピークは焼岳展望台とありました。
たぶんこのリンク先の焼岳の写真の左端にある小山がこのピークに当たるんでしょうな。

http://k-kabegami.sakura.ne.jp/kamikoutikouyou/1.jpg


ちょうど焼岳小屋のある新中尾峠と中尾峠の間にあるみたいですね。
この展望台の山頂に行くと、パーティが休憩していたんですが、
彼らが噴気孔があることを教えてくれました。


噴気孔はこれ ↓



<展望台にあった噴気孔>


※岩に黄色くこびりついているのは硫黄ですよ〜


展望台山頂から下った鞍部は中尾峠のようです。
でも霧でよくわかりませんでした。
道標と岩にペイントされた白ペンキを頼りに焼岳に挑みます。



<霧の中登る、青いザックカバーはS本さん>


とにかくガスっているんで、どこまで登ってきたか正直わからんのよね。
所々、岩の隙間から火山ガスが出ているのが見受けられました。
さすが活火山です。



<霧の中登る、紫色の衣装は弟、黄色い方はまささん>



<霧の中登る、紫色の衣装は弟、黄色い方はまささん>


高度をだいぶ稼いだところでなんか晴れてきました。
目の前のたぶん頂上部分の溶岩ドームが見えてきています。
このまま頂上でも晴れてくれればいいんだけど・・・
それにしても風が強い・・・



<ちょっと晴れてきた>



穂高岳方面がちょっと見える>



<こちらは岐阜県側、笠ヶ岳方面>


すこし展望が見えてきました。
一瞬ですが、穂高岳方面や岐阜県側の新穂高温泉笠ヶ岳山頂部分を見ることができました。


しかし、それもつかの間、またまた霧の中に・・・



<溶岩ドームが目前に>



<溶岩ドーム直下>



<白ペンキの○を頼りに登る>


溶岩ドームを巻くように道がついていて、ほどなく、焼岳北峰と南峰との鞍部に到着しました。



<焼岳北峰と南峰との鞍部から北峰方面を望む>


鞍部では単独行山ガールがカップヌードルを食べていました。
単独行の山ガールってのもいるんだねぇ、初めて見たよ
時刻は11時半前ですね、ご飯にはちょうどよい時間か・・・



<焼岳北峰と南峰との鞍部から南峰方面を望む>


この焼岳は、北峰は登れるのですが、南峰は立ち入り禁止です。
たぶん火山ガスの影響とかそういう要因なんでしょうが・・・
南峰のほうが標高が高いのですが、立ち入り禁止では仕方がありません。
北峰を登って、ピークハントしたことにしましょう・・・

まあ、その前にこの鞍部でしばしの休憩。



<休憩する一行、左から、まささん、わが弟、S本さん>



<そして、休憩するオレ>


おなか空いちゃったんで、なんか暖かいものを食べたいとも思ったんですが、天気もアレなので下りてからちゃんと食べようということになりまして・・・
一応インスタントラーメンは持っているけど、沸騰するのに次官かかるしねぇ
僕以外はあまりおなか空いてないみたい。
俺ってそんなに燃費が悪い体なのか・・・


ということで、ありったけのカロリーメイトすべて食しました。
少しは腹持ちするでしょう・・・


一息ついたら、荷物をデポして、北峰頂上を目指します。



<北峰に登る>


登り出すとすぐに噴気孔が・・・
噴気孔周りは硫黄で真っ黄色です。
今まさに昇華した硫黄が析出しているのです。
ここで・・・



<硫黄たっぷりの噴気孔>



<硫黄たっぷりの噴気孔>


おお!硫黄の結晶!いおうの結晶!!!
じゅるる・・・


おっといけません


噴気孔から一登りで北峰山頂です。
鞍部から5分程度の登りですね。


山頂は霧で真っ白、眺望はまったく望めませんでした。



<焼岳北峰山頂>



<焼岳北峰山頂のオレ>



<焼岳北峰山頂の様子>


風もビュウビュウだし・・・
あまり長居してもしょうがないので、そそくさと頂上を後にしました。

でもまあ、日本百名山のひとつだし・・・
今度は天気のいいときに来たいなぁ

でも、天気のいいときに登るのはもったいないな
上高地周辺は魅力的な山が多すぎて困ります。


つづく

北ア山行2013夏(7)<焼岳山頂から中ノ湯へ>
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20131126

北ア山行2013夏(5)<そして、焼岳へ>

前回の続きです。

<前回の日記>
北ア山行2013夏(4)<岳沢小屋より・・・>
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20130921


「もうこうなったら上高地でダラダラしたい組」と岳沢分岐で別れた「やっぱり山登りしたい組」の一行4名は、焼岳の登山口である田代橋を目指します。
田代橋は河童橋下流大正池の上流にある橋です。



<岳沢分岐→田代橋の地図>


とりあえずトイレに行っておこうと、河童橋に寄ります。



河童橋付近より岳沢方向>


河童橋付近から見た岳沢方面はホント雲の中です。
ちょうど雲の下端部分が岳沢小屋かな。
このまま雲の中を突っ込んで登っていったら、雨の中、ビチョビチョになりながらの岩登りになっていたでしょう。前穂登頂の中止は賢明な判断だったのかもしれません。



河童橋


そして、河童橋。この辺りはぜんぜん降水なしです。
オナカが空いたので、とりあえず河童橋横にあるみやげ物屋で大きな豚まんを買ってほおばりました。結果的に、この豚まんを食べたことは正解でしたが、それは後になってからわかること。


河童橋を後にして、梓川の北岸を下流に向かって歩きます。
そのうち、ウェストン園地に到着。
ウェストン園地には、上高地を世に知らしめた英国人宣教師ウォルター・ウェストンの碑があります。
ここを初めて訪れたのは、たぶん小学3年生ぐらいのときかなぁ
その当時は松本に住んでいて、親戚が松本の家に来ると、よく上高地の案内して連れて行ったものです。



<ウェストン碑>


なつかしい、ウェストン碑。
もう30年ぶりぐらいかもしれない・・・


ウォルター・ウェストン wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3

ウェストン碑(上高地公式ウェブサイト)
http://www.kamikochi.or.jp/spots/weston-relief/

ウェストン碑のあたりからは、六百山や霞沢岳がきれいに見えます。



<六百山と霞沢岳>


左のピークが六百山、右のピークが霞沢岳です。
六百山より霞沢岳の方が低く見えますが、実際には霞沢岳のほうが高いです。
霞沢岳のほうが奧にあるためそう見えるのかもしれません。



<「六百山と霞沢岳」の看板>


ほどなく、田代橋が見え、そして焼岳の登山口へ・・・
一応、登山届は出しますよ。
出しておけば遭難したときに救助を待つ時間が短くなりますからね。
時刻はまだ8時半です。



<登山口で見つけたモグラの死骸>


登山口のところでモグラの死骸を発見。
標高1500mの上高地モグラはいるんだねぇ・・・
調べてみると、どうもヒメヒミズという種で、標高の高いところにしかいない珍しい種みたいだ。


ヒメヒミズwiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A1%E3%83%92%E3%83%9F%E3%82%BA#.E8.BF.91.E7.B8.81.E7.A8.AE


ヒメヒミズの写真
http://img01.naganoblog.jp/usr/beagle/himehimizu33.jpg
http://beagle.naganoblog.jp/e581386.html


いやぁ、モグラもいろんな種類いるんですねぇ。
勉強になりました。


モグラwiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B0%E3%83%A9


ボクはアズマモグラとコウベモグラしか知らなかったので、目から鱗です。
東のアズマモグラと西のコウベモグラの勢力争いの話は有名ですからねぇ


勢力争いの関する記事
http://www.tanteifile.com/tamashii/scoop/0305/18_01/index.html



<焼岳登山口>


<焼岳登山口の看板>


焼岳は活火山ですからねぇ。こういう注意書きの看板もあります。
いつまた噴火するかもわからんですが、
まあここ10年ぐらいはおとなしいようなので、大丈夫でしょうか・・・



<焼岳登山口でのスナップ>


登山口で1枚スナップを・・・
後ろのカップルも焼岳登山者です。



上高地〜焼岳の地図>


歩き始めてしばらくは平らな樹林帯が続きます。


<まずは樹林帯>

そして、道は西へと進路を変え、稜線への登りへ・・・。
大規模に浸食する峰沢の横を登っていきます。
樹林の間から崩れた土砂を押さえるための砂防ダムが見えます。
焼岳は梓川をせき止めて大正池をつくり、そしていま、この沢からの土砂で大正池は埋まりつつありますからね。これが自然の営みというものですな。



ガリー浸食>


峰沢の浸食は典型的なガリー浸食ですな。
ガリー浸食とは、水の集中により川底がどんどん削られ溝ができた地形を指します。
ガリー浸食のできる場所は地盤が強固でない証拠。
このあたりは焼岳の火山灰や火山堆積物が降り積もっただけですから、雨水によってすぐに浸食されちゃうんでしょうね。
谷が深いです・・・


ガリー浸食
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA_(%E5%9C%B0%E5%BD%A2)


峰沢のガリー浸食にそって、樹林帯を登っていきます。
このころには雨が本降りになり、もうビチョビチョです。
雨具を着ようかとも思ったのですが、あまりにも暑くて着る気がおきないので、
雨具の下だけ履いて上はTシャツ1枚で歩くことにしました。替えの衣服もあるし・・・
もちろんザックカバーは付けましたよ。


雨が本降りで、ちょっと心がくじけそうになって、引き返そうか、とかつぶやいているうちに、正面に岩壁が見えてきました。
そろそろ樹林帯から脱出か・・・



<岩壁が見えてきた>


岩壁に近づくと、大ハシゴが・・・
よく見ると、ハシゴを2連にしてつないでいるもののようです。
当然のごとくハシゴ付近では渋滞が発生しています。



<ハシゴ>


しばらく待たされましたが、まあ、難なくクリア
これぐらいのハシゴはたいしたことないですな、垂直じゃないし・・・
これが完全に垂直だとちょっと怖いんだけど、たぶん垂直から10度ぐらい寝ています。



<ハシゴ付近から上高地方面>


ハシゴの上は森林限界。見通しがよくなってきました。
そして雨も小降りになった感じ・・・



<登山道を登る仲間たち>


森林限界からは上高地の方向がよく見えました。
霞沢岳・六百山は雲のなかですが・・・



<下山する登山者>


降りてきた登山者に聞くと、ここから焼岳小屋までは30分くらいらしい。
営業しているのか聞くと、ちゃんと営業しているそうな・・・、まずは一安心。



<峰沢上部の状況>

峰沢上部のガリー浸食はすさまじいですね。
植生している表土の緑の部分と、浸食谷の焦げ茶の部分とのコントラストがすごい!



<峰沢上部の状況>


拡大してみると、堆積物の断面がよくわかりますねぇ
表土のすぐしたの部分に大きな礫がありますねぇ
火砕流でもおきたのでしょうか?



<焼岳山頂方面を望む>


これから登る焼岳頂上方面を望むと、ガスの中・・・
果たして大丈夫なのかな?
まあ、展望はきたいできないでしょうけど・・・

森林限界地帯をさらに上り詰めると、稜線鞍部に到着。
ここが新中尾峠かな?

さらにそこから、ちょっと下った森林の中に目指す焼岳小屋がありました。



<焼岳小屋に到着>


時刻はまだ午前10時前、今日はスタートがはやいからねぇ・・・
とりあえず焼岳小屋の軒下を借りて一休みしました。

つづく

北ア山行2013夏(6)<焼岳山頂へ>
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20131010