ロバのコラム

『ロバのティールーム 』 https://www.robanotearoom.com のコラムです。

北ア山行2013夏(4)<岳沢小屋より・・・>

前回の続きです。

<前回の日記>
北ア山行2013夏(3)<河童橋〜岳沢小屋>
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20130919


2日目の朝です。
今日はここ、岳沢小屋から前穂高岳山頂をピストンして、
上高地に下山し、白骨温泉で温泉ウマ〜、・・・の予定ですが、
・・・天気は



<朝の岳沢小屋>


この有様…
山小屋の前には雨具を着た登山者がうろいろしている点からも明らかでしょうが・・・



<重太郎新道方面>



<重太郎新道方面>


これから登る、重太郎新道方面もこの有様。
ちょっと登ったところから霧の中です。
この日の天気予報は雨ベース、午後になるほど悪くなるという予報です。
前穂山頂までの重太郎新道は岩場コースですので、雨降りは命取りになります。
これは「断念」が英断でしょう。



<重太郎新道の地図>


ちなみに、1994年に登ったときの重太郎新道は以下の写真のような感じ・・・



<前穂山頂方面を仰ぎ見る、1994年8月>



<重太郎新道の登り(後ろ姿は同行者の大学後輩)、1994年8月>


ということで、前穂登頂断念を確定したわけですが、
では、どうするか、ということになり・・・
まあ、とりあえず岳沢を下りて上高地を目指しましょう、と。
そして状況を見ながら、天気がなんとかなりそうなら焼岳にでも登ろうか・・・、
ということに決まりました。


ちなみに岳沢小屋、上高地河童橋)、焼岳の位置関係は以下の地図の通りです。



上高地周辺地図>


こう見ると、岳沢小屋から焼岳ってのは結構遠いよね。
でもまあ、代替案で登れる山といえばここぐらいしかないんだよね。


時間は朝5時半、岳沢小屋ともお別れです。



<岳沢小屋前で出発準備>



<岳沢小屋前で出発準備>



<岳沢小屋看板>


岳沢小屋って標高2170mなんだねぇ。前穂山頂は3090mだから、標高差900mか・・・
けっこうあるなぁ
4kmで標高差900mてかなりの急斜面ですよね。



<岳沢小屋の正面入口>


岳沢小屋に別れを告げ、ひたすら下ります。
下りは速いので、どんどん、どんどん・・・



<下山時、振り返って雪渓を見る>



上高地方面の眺め>



<岳沢より天狗沢方面の稜線(雲の中だが)>



<登山道を下る我がおとうと>



<登山道を下る一行>



<もうすぐ上高地、人物はおとうと>



<岳沢登山口に戻る>



<岳沢登山口(岳沢分岐)で皆で相談>


ということで、あっという間、7時前には岳沢への登りの分岐点まで下りてきてしまったわけです。
ここで、みんなで相談、これからどうしようか・・・
今日の日程は夕方までに白骨温泉にチェックインすればいいわけです。
どうする???


皆に意見を聞くと、「やっぱり山登りしたい組」と、「もうこうなったら上高地でダラダラしたい組」に分かれました。前者が4名、後者が3名でちょうど半分くらい・・・
じゃあ、焼岳登りたい連中は焼岳登って中ノ湯に下りて、上高地散策組はテキトーに散策して頃合いを見て白骨温泉にゆく、ということになりました。


ぼくはもちろん前者、「やっぱり山登りしたい組」です。
「やっぱり山登りしたい組」は、まささん、S本さん、おとうと、ボクの4名。
他の3名とはここで別れ、僕らは焼岳を目指すことにしました。


つづく

北ア山行2013夏(5)<そして、焼岳へ>
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20130924

北ア山行2013夏(3)<河童橋〜岳沢小屋>

前回の続きです。


<前回の日記>
北ア山行2013夏(2)<明神池〜河童橋
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20130917


今回の旅の仲間は計7名。
東京組は、まささん、TDさん(なぜか「次長」と呼ばれている)、おいら兄弟の計4名。
大阪組は、幹事のT田くん、S本さん、M口くんの3名。
まささん、T田くん、M口くんは、すでに旧知の方です。
一昨年か一昨昨年に一緒に登っています。
次長さんとS本さんは初めて会いましたが、すぐ打ち解けちゃいましたねぇw


あ、そうそう、この旅の仲間はもともとは弟の職場仲間の連中の山行があって、それにボクが便乗させてもらっているのです。
一昨年はイトコも乗ったしw
すでに3回目の参加ですので、勝手知ったる仲になってますw

で、今日の日程は、夕飯までに岳沢小屋まで行くこと。



<岳沢小屋までの地図>


河童橋から岳沢ってのは穂高岳方面をみると真っ正面にある沢なんだよね。
よく見えます。
ですから、行き先がよくわかるのです↓



<岳沢小屋の位置>


最終的な行き先の前穂高岳は雲の中です・・・
明日の天気もあまり期待できないんですよねぇ
でも、そんなことも言っていられないので、とりあえず小屋を目指します。


岳沢小屋(公式HP)
http://www.yarigatake.co.jp/dakesawa/

岳沢小屋(スタッフブログ)
http://www.yarigatake.co.jp/dakesawa/blog/


岳沢小屋、実は同じ場所に昔は岳沢ヒュッテという名の小屋が建っていたんですよね。
ボクが以前登った1994年当時はそうでした。
しかし、2006年に岳沢ヒュッテは雪崩で倒壊、
その後再建を目論むも、小屋主が事故死をするという不幸に見回れ、
再建が一旦は危ぶまれます。
しかし、槍ヶ岳山荘グループの経営者が再建計画を引き継ぎ、
岳沢小屋として復活を遂げました。
ですから、現在の経営は槍ヶ岳山荘に移っています。


岳沢小屋(wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B3%E6%B2%A2%E5%B0%8F%E5%B1%8B

先ほど散策では通過した岳沢分岐を、今度は岳沢のほうに向かって歩いていきます。



<岳沢への分岐>


道標によれば、岳沢小屋まで4km、2時間。
まあ、まだお昼過ぎなので、3時すぎには着くでしょうか・・・
ちなみに前穂山頂までは8km、6時間だそうな。
岳沢小屋から先(重太郎新道)は相当急だというのがよくわかりますねぇ・・・



<登りの様子>


岳沢分岐から30分も歩かないうちに(細かいことは忘れたけど)、
岳沢名物(らしい)の風穴に到着。



<風穴>



<風穴前で休憩>


いやぁ〜、涼しいのなんのって!
ゴロゴロと転がった岩の隙間から冷気がジャンジャン出てきます。
涼しくてここを離れたくありません。
でも、先に行かないと、お布団の上で寝れないので、登り続けます。


この時点で、オイラは腹が減ってしまって、あんまり馬力がでなくなります。
嘉門次小屋の蕎麦以来、ゴハンを食べてないんでね。
河童橋で集合後、みんなで昼ご飯食べてから出発かと思っていたら、集合時点でもうすでにみんな腹ごしらえ済みでした。
みんなで食べると思いこんでいたので、嘉門次小屋では軽食にしたんだが・・・
まあ2時間程度の歩きなので、持つだろうと思っていたけど、ダメですねぇ
ボクの体の燃費は相当悪いらしい・・・


仕方がないので、カロリーメイトを食べながら登ります。
初めて食ったけど、カロリーメイトの蜂蜜味って美味しいのね
いつも食ってるフルーツ味よりおいしい


道はほどなく、樹林帯から岳沢上のガレ場道へ・・・
岳沢自体はほとんど水量ないのねぇ
ガレ過ぎて、岩の下を水が流れているのかも知れませんねぇ



<岳沢のガレ場道をゆく>


上高地はだんだん遠くなっていきます。



<岳沢中腹から上高地方面を見る>


それにしても雲が濃い。
まあ高度を稼げば稼ぐほど、雲の中に突入していきますので、天気が悪くなってくるのは当然。



<岳沢中腹より稜線方面(天狗沢方面か)>


稜線の上は完全に雲に隠れてしまっている・・・
雲の中は雨だろうなぁ


ほどなく、岳沢上でも雨がポツポツと降り出します。
雨具着ると暑いのですが、仕方なく着て歩きます。



上高地がさらに遠くなる>


途中からとうとう土砂降りに・・・
おいおい、やめてくれよぉ〜
土砂降りの中、ほうほうの体で山小屋目指します。


そしてようやく・・・、岳沢小屋に到着。
もうずぶ濡れですわ(まあ雨具とザックカバーで中は大丈夫だけど・・・)



<岳沢小屋から外を見る>



<岳沢小屋から外を見る、もう土砂降りです>


土砂降りの中、遅れていた旅の仲間の中で一番重量級の(体重3ケタらしいw)のM口くんがなかなか登ってきません。
心配して、おとうとくんが土砂降りの中、様子を見に行きました。
しばらくして、登ってきました。
久々の山登りなのでゆっくり登ってきたそうな。
というか、2年ぶりの会うM口くんは一回りでかくなってるよねぇ
まさか、着ぐるみ?・・・んなこと言ったら怒られるわいw


夕飯までビールを飲んで酒盛りしてたら、雨は一応止みました。
でも相変わらず、どんよりとした空模様です。
曇りですが、限りなく雨に近い曇り・・・



<なんとか六百山と霞沢岳の山頂が見える>


上高地方面を見ると、なんとか六百山と霞沢岳の山頂が見えます。
この六百山と霞沢岳は結構標高はあるのに、3000m峰が乱立する上高地周辺にあっては、埋没して地味な山になってます。
これが別の場所にあったら、絶対、目立つんだけど・・・
かわいそうだなぁ


六百山
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E7%99%BE%E5%B1%B1


霞沢岳
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%9E%E6%B2%A2%E5%B2%B3


そして振り返ると、岳沢上部の雪渓と穂高岳の稜線が・・・
あれ?雲で見えない・・・



穂高岳方面と岳沢上部の雪渓>


雪渓の右側の小高い丘のほうに明日は取り付く予定なんだが、ホントにこの天気で登れるのだろうか・・・



<岳沢小屋のフロント・食堂棟>


↑岳沢小屋は石段の2段構造で、下の段の棟はフロントと食堂があります。
非常にこじんまりしていて、いい小屋ですねぇ。



<夕食後に小屋前の広場で談笑>



<宿泊棟のある上の段>


そして、石段の上の段には宿泊棟。
左側の棟の一番右側の部屋に宿泊しました。

はたして翌日は晴れるのだろうか・・・

つづく

北ア山行2013夏(4)<岳沢小屋より・・・>
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20130921

北ア山行2013夏(2)<明神池〜河童橋>

前回の続きです。

<前回の日記>
北ア山行2013夏(1)<上高地
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20130916


河童橋から1時間ほど弱あるいて、明神池までやってきました。
ほとんど平らですので、まあ散歩みたいなもんです。



河童橋〜明神池間の地図>


明神池は穂高神社のご神体と言うことで、明神池前には穂高神社の拝殿があります。



<明神池に隣接する穂高神社奥宮>


↑写真の拝殿の奧が明神池です。


明神池(上高地公式ウェブサイトより)
http://www.kamikochi.or.jp/spots/myojin-ike/


イワナがたくさん泳いでいるんだよねぇ。
でも入るのに200円かかるらしい・・・
入ろうか迷ったけど、子供の時に何回か池の畔にいっているので、今回はパスしました。
でもお賽銭だけはあげてきたw


ここは穂高神社の奥宮だけど、本宮は安曇野穂高町にあります。
本宮の方も小学生の時にいったよなぁ(あ、その後も何度か行ってるか・・・)


穂高神社wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%82%E9%AB%98%E7%A5%9E%E7%A4%BE

穂高神社(ウェブサイト)
http://www.hotakajinja.com/


ここまできて、ちょっと小腹が空いてしまったので、小屋で軽食をとることにしました。
明神池のすぐ近くにある嘉門次小屋にチェックイン。
蕎麦を賞味しました。



<明神池前にある嘉門次小屋>


この嘉門次小屋は、上高地を世に知らしめた英国人宣教師ウェストンの道案内をした猟師・上條嘉門次の子孫が経営する小屋です。

嘉門次小屋(ウェブサイト)
http://www.kamikochi.or.jp/facilities/stay/kamonji-goya/

上條嘉門次
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%A2%9D%E5%98%89%E9%96%80%E6%AC%A1


ぼくは山菜蕎麦を食べたけど、わりとおいしかったなぁ・・・
あまりゆっくりしていると、お昼までに河童橋に戻れないので、ちょっと休憩したら出発です。
梓川沿いの道に戻り、明神橋を目指します。
といっても目と鼻の先ですが・・・



梓川沿いの道のおとうと>


そして、明神橋を渡り、対岸へ・・・
来た道を引き返すのもつまらないので、帰りは左岸(南岸)を歩くことにしました。



明神橋を渡る>



明神橋から梓川下流を見る>


梓川ってのはホント水量の多い川だよねぇ・・・
最源流の槍沢や涸沢だって、ここから歩いて行ける距離(といっても数時間)にあるのに、この川幅です。

ちなみにこの梓川は、松本盆地奈良井川高瀬川と合流し犀川と名前を変え、
その犀川長野市川中島千曲川と合流し北上、
新潟県に入ったところで信濃川と名前を変え、新潟市日本海の流れ込みます。

そう、上高地を流れる梓川信濃川の支流なんですよ。
知ってたかなぁ?みなさん・・・

明神橋から北を眺めると、明神岳が見上げる角度にそびえ立ちます。
この日は曇っていて上まで見えませんが・・・



明神橋から明神岳方面を見る>


晴れているとこんな風にみえるはずなんだよねぇ

明神橋からの明神岳(ググって見つけた写真)
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/fb/143f88333f9d8b23410306548c787e27.jpg

まあこの山があるせいで、前穂高岳が見えないんだけどねぇw

明神橋を渡って南下していた道は、明神館前で丁字路となります。



<明神館>


右に行くと河童橋、左に行くと徳沢園・涸沢・槍沢方面です。
左に行きたいところですが、右に行きます。

散策路を歩いていると、マサ土のやまに出会いました。



<マサ土(花崗岩が風化してできた砂)>


マサ土は花崗岩が風化してバラバラになった砂ですが、このあたりの花崗岩は非常に若く、世界で一番若い花崗岩らしい・・・

この本に載ってました↓

『超火山「槍・穂高」―地質探偵ハラヤマ/北アルプス誕生の謎を解く』
http://www.amazon.co.jp/%E8%B6%85%E7%81%AB%E5%B1%B1%E3%80%8C%E6%A7%8D%E3%83%BB%E7%A9%82%E9%AB%98%E3%80%8D%E2%80%95%E5%9C%B0%E8%B3%AA%E6%8E%A2%E5%81%B5%E3%83%8F%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%9E-%E5%8C%97%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%97%E3%82%B9%E8%AA%95%E7%94%9F%E3%81%AE%E8%AC%8E%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E5%8E%9F%E5%B1%B1-%E6%99%BA/dp/4635201015

散策路をひた歩きます。
ちょっとゆっくりしすぎたので、急がねば・・・



<樹林帯を歩く>


12時の10分ほど前に河童橋まで戻ってきました。
しかし仲間はまだ来ていません・・・



河童橋まで戻ってきた>


まあ、急ぐ旅でもないし、河童橋前のベンチで弟とふたりでゆっくりと、観光できている大阪のおばちゃんとお話をしていると、旅の仲間たちがだんだんと集まってきました。

僕らが職場仲間・兄弟で、妻子を置いて山登りに来ていることをおばちゃんに話すと、
「ええおくさんや〜。大事にせにゃあかんで!」と・・・

はいはい、奥さまたちには感謝しておりますw



<仲間たちと合流>



<仲間たちと合流>


どうやら雨は上がったようで、軽く陽もさしてきていますが、天気が持つかどうか・・・
全員そろったので、いよいよ、今日の目的地の岳沢小屋に向かいます。

つづく

北ア山行2013夏(3)<河童橋〜岳沢小屋>
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20130919

北ア山行2013夏(1)<上高地>

もう9月なのでだいぶ経ってしまいましたが、
7月の三連休に行った北アルプス山行について、今更ながら日記に書きます。

去年は諸般の事情で参加できなかった実弟の職場仲間との山行ですが、今年は2年ぶりの参加することができました。
今回の目的地は、北アルプス前穂高岳です。

過去に2回参加してますが、前回は燕岳、前々回は八ヶ岳です。

過去のブログ

北アルプス燕岳山行<その1>」 2011年7月
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20110721

八ヶ岳山行2010<1>オーレン小屋まで」 2010年9月
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20100921


今回のルートはきわめて明快。
上高地から岳沢を登り、岳沢小屋で一泊、
翌日、重太郎新道で前穂高岳をピストンして、上高地に下山、
その晩は白骨温泉でウマー!っていう日程。
メンバーの前回とほぼ同じ様な感じです。

ちょっと楽しすぎな気もするが、40歳前後のオッサン登山隊にはこれぐらいが丁度いいかもしれません。

実は、このルート、ボクは20年近く前の一度歩いているのです。しかもテント携行で・・・。
そのときの日程は、
 1日目:上高地〜岳沢〜岳沢ヒュッテ前でテント(泊)
 2日目:岳沢ヒュッテ〜前穂〜吊尾根〜奥穂〜ザイデングラート〜涸沢(テント泊)
 3日目:涸沢〜横尾〜上高地
と、いうもの。
まあ穂高縦走では一般的なルートですね。

ちなみにそのときの前穂登頂写真はこれ↓



前穂高岳山頂_1994/8/23>



<一緒に登った仲間とテント(岳沢ヒュッテ前)_1994/8/22>


今回は小屋泊まりなので、装備の重量も10kg程度ですから楽勝ですね。
20年前はテント携行ですから、たぶん20Kgは背負っていたでしょう・・・

さて、まずは上高地までですが、弟くんが午前4時半に迎えに来てくれました。
道が混まないうちに、上高地の入り口である沢渡駐車場の駐車ができるうちに、という配慮から、なるべく早く出ようということになり・・・
他のメンバーとは上高地河童橋にお昼待ち合わせなので、ちょっと早すぎる気もしますが、渋滞にはまるよりはマシですから・・・

さいたま市から下道を東松山までひた走り、東松山から関越道に入り、藤岡から上信越道に行く、という定番ルートで、渋滞もほぼなく順調に目的地を目指します。
そして6時半には、長野県内の佐久平PAに到着。



佐久平PAにて休憩>


佐久平から先も順調で、更埴JCTから長野道に入り、梓川PAのスマートインターで高速道を出て、その後は西へ、上高地へ向けてひた走ります。
そして8時半には上高地への玄関口である沢渡(さわんど)に到着しました。



<沢渡(さわんど)駐車場に到着>


上高地へは自家用車では入れません。いわゆる自然保護のための「マイカー規制」です。
そのため松本市内から自家用車で来た人は、ここ沢渡(さわんど)で車を駐車して、そっから先は許可されたバス・タクシーといった公共交通機関を利用して上高地に入ります。
ボクが初めて上高地を訪れた昭和50年代は車で入れましたが、やはり、時代の流れでそうなりました。


上高地公式ウェブサイト
http://www.kamikochi.or.jp/


沢渡の駐車場がいっぱいになるかも、って危惧していたのですが、そんなことはなく、駐車場がいたるところにあり、まさに沢渡は上高地観光の拠点と化していました。
ここ20年ばかり、上高地を訪れたことがなかったので、沢渡がこんなに劇的に変化しているなんて知りませんでした。ボクが知っている沢渡は、新島々駅の先の谷あいの寒村というイメージでしたから・・・
まあ、あれだけ観光地化している上高地だから、はやく行かなきゃ駐車できない、というのはホント取り越し苦労でした。


沢渡で車を停めて、バスに乗り込み、上高地を目指します。
ただ、気がかりなのは、この天気。
どうもこのあたりはまだ梅雨明けしてないようなんだよねぇ。



<さわんどからバスに乗る。座っているのは弟>

釜トンネルを抜けて、大正池へ・・・



<バス車内より雨の大正池


大正池もだいぶやせ細りました。
大正池は、大正時代の焼岳の噴火で梓川がせき止められて出来た堰止め湖ですが、焼岳からの土砂が原因でどんどん埋まり、いまや梓川のふち(淵)レベルになってますねぇ〜
20年ぶりぐらいに見ましたが、あまりのやせ細りようにビックリしました。
歳月を感じますね。

焼岳が作った大正池は、焼岳の土砂が原因でなくなっていくというのも皮肉ですね。
まあこれが自然の摂理というものです。

大正池
http://www.kamikochi.or.jp/spots/taisho-ike/

そしてほどなく、上高地バスターミナルに到着。
時刻はまだ9時半過ぎ。



上高地の看板地図>



<バスターミナルの弟くん>


上高地に着いたが、天気がひどいもんで、雨が降っている上に、ときおり突風のような強い風。
帽子が転がってゆきます。
ホントに明日、前穂なんぞに登れるのだろうか・・・
とりあえず上高地のシンボル、河童橋まで歩きます。
みんな傘を差すか、雨合羽の出で立ち・・・
カッパを着て、河童橋なんぞシャレにもならん・・・



河童橋への遊歩道>



河童橋が見えてきた>



<そして河童橋に到着>


この時点でまだ9時半、お昼にこの河童橋で仲間たちとは待ち合わせなので、2時間以上時間があります。そこで、明神池まで散策してくることにしました。

ちなみに上高地とその周辺の地図はこんな感じ↓



上高地穂高岳付近の地図>


地図中、左下のほうにバスターミナルがあり、そこから東にちょっといったところに河童橋があります。地図中の川沿いに行った右端にあるのが明神池、穂高神社の奥宮があります。
地図、中央上にあるのが今日の目的地、岳沢小屋、
そこから左上に上がった場所が明日の目的地の前穂高岳です。

明神池
http://www.kamikochi.or.jp/spots/myojin-ike/

上高地バスターミナルから明神池まではおよそ1時間、往復するとちょうど集合時間になります。

上の地図を拡大した地図はこんな感じ↓



上高地〜明神池の地図>



河童橋から梓川上流・岳沢を見る>


河童橋から梓川の上流を見ると、ちょうど真っ正面に今日登る岳沢が見えます。
写真正面の沢を登って、雲との境目に雪渓がありますが、あのあたりがちょうど岳沢小屋です。
見ての通り、天気は芳しくない・・・
萎えますなぁ・・・

梓川の右岸(北岸)を上流に向かって歩くと、ほどなく岳沢の分岐につきます。
仲間と合流後はここを左に、岳沢を登っていきますが、いまはとりあえず明神池まで散策しますので、まっすぐ行きます。



<岳沢分岐の道標>


岳沢分岐を通過し、散策路は梓川に沿って、梓川に近づいたり離れたりしながら、途中、枝沢や沼地をぬうように進みます。
一般観光客も明神池ぐらいまでは歩く方がいますので、一般観光客と登山者がごっちゃになっています。登山者は明神池から先、涸沢や槍沢に向かう人もいるはずです。



<沼でニホンザルと遭遇>


ある沼まで来たところでニホンザルと遭遇しました。
写真には2頭写っていますが、上高地ではニホンザルはたいして珍しくなく、10頭ぐらいは群れをなしていました。
やがて散策路は梓川のすぐ脇を通るようになり、吊り橋が見えてきました。


<吊り橋が見えてきた>


どうもあの吊り橋は明神橋のようです。



明神橋が見えてきた>


この明神橋のすぐ手前が明神池だったはず・・・
ほどなく明神池に到着しました。


つづく

北ア山行2013夏(2)<明神池>
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20130917

八方尾根(2)

前回の続きです。

<前回の日記>
八方尾根(1)<家族旅行2013夏 その7>
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20130910


黒菱駐車場からリフトを二本乗り継いで、八方池山荘まで到着。
八方尾根のリフトはここまで、こっから先は登山者の領域です。
八方池山荘はもう純然たる山小屋です。



<八方池山荘>


八方池山荘
http://annai.hakuba.jp/content/view/56/68/

↑へぇ、ググって初めて知ったけど、八方池山荘って白馬村村営なんだねぇ。
白馬村は何個も村営山小屋もってるんですね。
白馬岳頂上小屋ぐらいしか思いつかなかった…

で、ここでお昼の時間なので、八方池山荘でお昼を摂ることにしました。
ボクは牛丼食べたけど、山小屋としてはわりとクオリティの高いごはんでした。

ご飯が終わったら、ご飯前に約束していた山小屋横で売っていたソフトクリームを娘たちに買ってあげました。



<ソフトクリームを食べる娘たち>


写真では真っ黒い感じに写っていますが、これは紫色のブルーベリー味です。
これが濃厚で意外とおいしかったのでビックリです。

ここまで来る観光客たちは、ここから山荘の背後にある八方山や、さらにその先にある八方池を目指してトレッキングしますが、5歳児と3歳児連れの僕らにはここから先は無理です。
山荘のすぐ近くにある展望台でよしとしましょう。

ここから八方池までは片道1時間半かかります。
ちなみにボクは八方池までたぶん2回行ったことがあります(20年ぐらい前かな、1回は大学のゼミ合宿、もう1回は忘れた)。

八方尾根自然路
http://vill.hakuba.nagano.jp/green/tozan_trekking/happoone.html

八方尾根の地形・地質
http://www.hakuba-happo.or.jp/archives/hana/tikei.htm

そうそう、言い忘れましたが、八方尾根は蛇紋岩で出来ています。
この崩れやすい蛇紋岩という材料で出来ているため、八方尾根はお椀をひっくり返したようなのっぺりとした形をしています。
(※上のリンク先「八方尾根の地形・地質」の地質図を参照)



<展望台からの白馬三山の眺め>



<展望台からの八方山の眺め>


午後1時も過ぎてしまうと、ここまで雲が出てきちゃうんですよねぇ
やはり山は朝、少なくとも午前じゃないとダメです。



<長女がちょっとグロッキー>


今朝からちょっと具合のよくない長女は、ここにきていよいよダメっぽいです。
なんかカラダが熱っぽい…
体操クラブの2泊3日のキャンプのあと、中1日で、この旅に来ているので、疲れがたまってしまっているのかもしれません。
かわいそうなので、一刻も早く下に下りることにしました。
(ちなみに次女は元気いっぱいでした。)



<下りリフト一本目>


まず八方池山荘前から1本目のクワッドリフトに乗ります。
そして、黒菱へ降りるリフトまで、徒歩で平行移動です。



<どんどん先に行く元気いっぱいの次女>


次女の後ろ姿を見ていると、ホント、大きくなったなぁ、と感じますねぇ。
なんでもひとりでできるようになってきました。
それにしてもちっちゃいリック背負って歩く姿はかわいらしい・・・



<オリンピックのスタートハウス>


そして、オリンピックのスタートハウスの横を通り・・・
下りのペアリフトに乗ります。



<下りのペアリフト>


下りのリフトって、何回乗ってもこわいよねぇ



<黒菱駐車場と岩茸山(左奥のこんもりした山)>


リフトからは眼下に黒菱駐車場とこんもりとした岩茸山が見えます
岩茸山にも岩岳スキー場というスキー場があります。
と思って、ググったら、ここも名称変更したみたいですねぇ
今の名前は「白馬岩岳スノーフィールド」らしい・・・


白馬岩岳スノーフィールド
http://iwatake.jp/


白馬岩岳スノーフィールドのwiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%A6%AC%E5%B2%A9%E5%B2%B3%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89



<リフト降り場に到着>


そしてようやくリフト降り場に到着・・・

このあと、このまま家路についたのですが、そのルートは、
白馬村からオリンピック道路を通って、小川村〜信州新町を経て、犀川に出て、
川中島を通り、更埴ICから上信越道をゆく、というもの。

しかし、白馬を出たのが遅すぎたのか、群馬の藤岡ICの渋滞にはまったため、吉井で高速道を下りて一般道で帰ったため、さいたまについたのは10時過ぎでした。
ちょっと、帰りは失敗したな、って感じです。

ちなみに、帰宅してから長女の熱を測ると39℃、やっぱり発熱してました。
とはいえ、解熱剤を飲ませて寝かしつけたら、翌朝には熱が下がり、ケロッとしてました。
やっぱり疲れていたのかねぇ・・・

ということで、2013年夏の家族旅行はこれで完です。
長々と書いてしまいましたが、最後まで読んでくれた方、お疲れ様でした。

八方尾根(1)

前回のつづきです。

<前回の日記>
長野県小谷温泉<家族旅行2013夏 その6>
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20130908


さて、小谷温泉を出発します、…ってとこで上の娘がトイレに行くと言いだしたので、その間、下の娘はキュウリをがぶり・・・



<キュウリを食べる次女>


この姉妹はふたりともキュウリが大好物。
ウチの奥さまもキュウリ好きなので、最近、オレはカッパと結婚したんじゃないかと危惧しています。
このキュウリは小谷温泉の土蔵の前にあった桶に冷やしてあったもので、
「ご自由にどうぞ」と書いてあったので頂きました。



<キュウリが冷やしてあった桶>


さて、長女とウチの奥さまが戻ってきたので、出発です。
まずは姫川の筋まで支流の中谷川沿いの道を下ります。
地図によると、山田旅館がある場所が標高900mぐらいで、
姫川の谷筋が標高500mくらいなので、
400mくらい下ることになりますねぇ。結構山の上にあるんですねぇ。



<中土(姫川沿いの集落)まで下る>


下っていくと、正面に後立山連峰の白馬三山よりさらに北にある風吹岳・風吹大池方面の稜線が見えました。残雪が残ってますねぇ。あのあたりは、標高2000m弱の稜線です。



<風吹岳・風吹大池方面の山並み>


下っていくと、正面に大きく崩れた山並みが見えてきました。
これぞまさに、稗田山(ひえだやま)大崩壊地!!!!



<稗田山大崩壊地方面>


この稗田山大崩壊は、「日本三大崩れ」のひとつと称されるほどの大崩落地です。
ボクはこの事実を小学生の時に買った「松本盆地の生い立ちをさぐる」(松本市教育委員会編、昭和58年)って本で知ったんだよなぁ
この本を持っている方はp194〜195を参照してね!(そんな人はいないよねぇw)


文献参照できない人は以下のリンクをよんで下さいな


稗田山崩れ(wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%97%E7%94%B0%E5%B1%B1%E5%B4%A9%E3%82%8C


その他、稗田山崩れに関するHP
http://www.hrr.mlit.go.jp/matumoto/hiedayama/index.html
http://www.youtube.com/watch?v=h3EEBPNxQLw


明治44年にこの稗田山の斜面が突然崩れ、土石流が姫川支流の浦川を駆け下り、6km下流の姫川との合流点で姫川をせき止め、天然ダムを造ってしまった、という事件です。
堆積した土砂の厚さは60m、崩れた土砂の総量は1.8x10の8乗立方メートルだそうな。

まあ、その辺の日本の大崩壊の詳しい本として、幸田文「崩れ」という本があるので、関心のある方は是非読んでください(ボクは1冊持ってます、実家にあるけど・・・)


幸田文「崩れ」
http://www.amazon.co.jp/%E5%B4%A9%E3%82%8C-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B9%B8%E7%94%B0-%E6%96%87/dp/4061857886


↑ありゃりゃ、いまは文庫も出てるんだ。ボクが持っているのはハードカバーです。


「崩れ」についての解説頁がありました。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~a-uchi/zatuneta/index7c.html



<小谷から八方尾根への道>


本題にもどします。
姫川筋に下りてきて、
上の娘の調子がいまいちよくないので、どうすっぺか〜って感じでしたが、
まあ折角ここまで来てるし、帰り道なので、
娘の様子を見つつ、予定通り八方尾根にでも寄りながらかえるべ〜、
ってことになり八方尾根に向かいました。


姫川沿いの道をただ八方まで南下するのもつまらんので、大糸線千国駅の先から左折し、山沿いの千国街道を通って八方に向かいます。
この道を通ると、栂池高原へのゴンドラ駅の前(つまり栂池高原スキー場の前)を通るんだよねぇ。こっちのほうが白馬三山がよく見えるのを知っているので、山々を見ながらドライブです。


岩岳スキー場の前をすぎて、ほどなく八方の下までやってきました。
まあ、初めての方ならここから八方尾根スキー場の下に行って、
ゴンドラアダムに乗って、リフト乗り継いで八方池山荘に行くのでしょうが、
そこはこのあたりをよく知るわたしのことですから、
八方から黒菱林道で黒菱ゲレンデまで標高を車でかせぎます。


下からゴンドラ・リフトを乗り継いでいくと、往復3000円。
でも黒菱まで車で上がってしまえば、八方池山荘までリフト2本で往復1000円。
こりゃ、車で標高かせぐほうが利口でしょ!


下の地図は八方集落から八方池山荘までの道のりを比較しています。
赤矢印のルートが僕らが通ったルート。
黒菱林道が八方尾根のかなり上のほうまで来ているのがわかるでしょ?
一方、ゴンドラルートは青い線。かなりの距離、ゴンドラに乗ることになります。



<八方尾根黒菱ゲレンデへの道>


ということで、八方尾根の上部まで上れる黒菱林道をひた走り、黒菱ゲレンデに到着しました。
到着は午前11時半、山ではちょっと遅いよね。
まあ、長女が調子悪くてトイレとかに行っていたので、仕方が無い・・・


八方尾根HP
http://www.hakuba-happo.or.jp/
http://www.hakuba-happo.or.jp/sightseeing/happo-trekking/



<カフェテリア黒菱>


↑黒菱の駐車場前には冬にはゲレ食になるカフェテリア黒菱が・・・
昔(20年ぐらい前)は何度も八方尾根にスキーに来てますので、たぶんここで何回かメシ喰ってます。この黒菱ゲレンデあたりは雪がしまっててていいんだよねぇ〜。
久しぶりに八方尾根で滑りたいなぁ



<黒菱ゲレンデ>


黒菱駐車場からまずは短めのペアリフトに乗ります。
上の娘はすでにスキー経験済みなので、まあリフトに乗るのも初めてではないです。
下の娘はどうだったかなぁ〜?
ボクは下の娘と一緒に乗り、その後ろにウチの奥さんと上の娘、最後にオフクロと続きます。



<黒菱のリフトに乗る>


高度をどんどん上げて・・・



<黒菱のリフトを降りる>


一本目のリフトを降りると、目の前の白馬三山の山々が連なります。
左から白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳です。
ちなむにボクは登った事がない・・・。大雪渓の大渋滞の話を聞くに、いつも躊躇してしまう。
でも一度ぐらいは登っておかないとなぁ
松本あたりじゃ、高校生の林間学校が白馬岳登山だし・・・



<リフト乗り継ぎ地点からの白馬三山>


1本目のリフトから2本目へはちょっと歩きます。
突き当たりに八方集落からのリフト降り場の建物が見えます。



<八方集落(下から)のリフト降り場>


そして、南西の方角を見てみると、鹿島槍ヶ岳五龍岳が見えました。
この2峰にも登ったことがなく、いつかは登りたい山です。
つうか、よく考えたら、後ろ立山連峰の山はひとつも登ってない!!!



鹿島槍ヶ岳(左の双耳峰)と五龍岳(右)>


八方尾根から白馬三山方面と鹿島槍五龍方面の位置関係はこんな感じ↓



<八方尾根と白馬三山と鹿島槍五龍の位置関係>


地図にあるように、八方尾根自体は唐松岳の尾根です。
尾根上の八方山に邪魔されて、八方尾根下部からは唐松岳は見えません。
ちなみに、南隣の五龍岳には遠見尾根という尾根が張り出していて、そちらには五竜とおみスキー場があります。こちらも夏期はゴンドラを運行しています(いったことないけど・・・)


ということで、ググったら、「五竜とおみスキー場」は「白馬五竜スキー場」に名称変更したようだ。
しらんかったわぁ〜


白馬五竜スキー場
http://www.hakubagoryu.com/kankou/alps-summer/

wikiによると、名称変更は1997年らしい・・・
ひょえ〜、しらんかったばい!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%A6%AC%E4%BA%94%E7%AB%9C%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%A0%B4


そういや、2年前に燕岳に登ったときには、燕山荘の前から鹿島槍ヶ岳を見たよなぁ・・・

そんときのブログ↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1771338833&owner_id=1387683


そして2本目のリフト(地図中のリフト2)に乗りました。
こちらはクワッド(4人乗り)です。



<2本目のリフト>


軽快に高度を稼いでいきます。
写真中、右に見えるこんもりした山は八方山、左の三角屋根の建物は八方池山荘という山小屋です。



<2本目のリフト>


↑ちなみに同乗した長女とおふくろはこんな感じ・・・

ようやく八方尾根スキー場の一番てっぺんに到着します。


つづく


八方尾根(2)<家族旅行2013夏 その8>

長野県小谷温泉

前回のつづきです。

<前回の日記>
黒部峡谷トロッコ列車2 <家族旅行2013夏 その5>
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20130907


宇奈月温泉ですっかりウダウダしてしまったので遅くなり、16時近くになって宇奈月温泉を離脱。
一路、長野県小谷村の小谷温泉山田旅館に向けてひた走ります。
まずは、宇奈月温泉から北陸道黒部ICへ、ここまでは30分もかからずに到着。
黒部インターから糸魚川インターまでは高速道路です。
糸魚川インターまではほんの40キロほどですので、すぐです。
糸魚川からはひたすら国道148号を南下です。



糸魚川・小谷周辺図>


新潟県糸魚川市に長野県北安曇郡小谷村と隣接しているので、となりまちです。
とはいえ、山が迫る姫川沿いの狭い谷を遡上していくことになり、どれぐらい時間がかかるのか未知数。ロードマップでは糸魚川インターと小谷温泉は見開きページに収まるんですが…

姫川沿いのこの国道は、一度、ボクが小学5年生の時に通ったことがあります(南小谷糸魚川間に限ってですが・・・)。あのときの印象はとにかく狭くてひどい道というものです。でもあれから30年経っていますし、その間に大水害とかもあったんで、道は改良されているはず・・・

糸魚川市街を抜けて、姫川の谷筋に入っていくと・・・
道はずっといいんですが、もうスノージェットの嵐、嵐、嵐・・・
あ、スノージェット知らないですか?
雪崩よけのあれですよ、コンクリート構造物 ↓

スノージェット
http://www.photolibrary.jp/mhd1/img177/450-2010103022505842810.jpg
http://www.thr.mlit.go.jp/yamagata/road/kondan/20021107/siryo01/06_4.html

このスノージェットが何キロも続くんですよ、この道。
こんなにずっと続く道なんて見たことない、いや、奥只見ダムのあたりぐらいか・・・

こんなにスノージェットが必要なほどの豪雪地帯ということですよ、ここは。
ほどなく、県境の糸魚川市平岩付近に到着。



糸魚川市平岩付近より南を見る>



糸魚川市街地図(平岩付近)>


この時点で17時になりかけていたので、一応、宿には電話。
17時頃行く、と伝えていたので・・・
宿の方から、「じゃああと30分くらいですね」との返答。え〜、まだこっから30分かかるのか・・・
意外と遠い・・・

小谷温泉は姫川沿いではなく、姫川の支流、中谷川を8キロほど遡ったところにあります。
小谷温泉入口という信号で左折して、国道とは別れ、山道をひたすら登ってゆきます。

そして、17時半頃、ようやく宿に到着。



<小谷温泉から中土方面(姫川本流方面)を見る>


いやぁ、ホント、山んなかです。
雨飾山のの真下ですな。


小谷温泉山田旅館公式HP
http://www.otari-onsen.com/index.php?FrontPage

小谷温泉山田旅館に関するHP
http://www.geocities.jp/nara_no_daibutu2/spa3/33-otari-yamadaryokan.html
http://www.a-spa.co.jp/totugeki/yamadaryokan/totugeki-kotani_yamada.htm


なんでこの温泉を選んだのかといえば、

黒部峡谷鉄道に近くて、かつ埼玉県に帰る途中にある温泉いいな」
 →「その条件だと新潟県か長野県だな、でもやっぱり長野だよなぁ」
 →「でも長野はすでに行ったことあるとこばっかりだな(子供の頃、松本に住んでたし・・・)」
 →「いや、待てよ、白馬以北の温泉って行ったことないよなぁ」
 →「そういや、小谷村に温泉あったよなぁ・・・」

という論法から、小谷村に白羽の矢が立ち、そこからググってここを選定したわけです。

で、結論から言えば、この「小谷温泉山田旅館」は大当たり!!!
近年まれに見る大ヒット旅館です。素晴らしい!

ロケーション良し、歴史あり、お湯(泉質)に力あり、料理がおいしい、部屋良し、ホスピタリティ良し、非のつけどころがない。定宿にしたい旅館ですね。

では、この山田旅館を紹介しましょう。
山田旅館は、川中島合戦の際に武田信玄により発見された温泉が発祥らしく、450年もの歴史があります。で、これは伝承ではなく、しっかりと当時の領主からの安堵状などの古文書が残っていて確かなようです(資料館に飾ってあります)。

で、この山田旅館は大きく3つの棟で構成されていて、手前から本館、新館、別館となっています。おのおのの創建年代は、本館・・・江戸時代、新館・・・大正3年、別館・・・昭和63年だそうな。



<山田旅館本館正面>



<山田旅館玄関>



<山田旅館、新館(右)と別館(左)>


で、まあ明治時代にドイツで行われた霊泉万国博覧会にお湯が出展されたそうな。
そのときの看板がこれ↓


<独逸(ドイツ)霊泉万国博覧会出展の看板>


中の様子はこんな感じ、廊下も年代もんです
この廊下は大正時代に建築された新館の部分↓



<新館の廊下>


そして江戸時代に建てられた本館は国の登録有形文化財に指定されているそうな。
でもちゃんと泊まれるようなんですよw ↓



登録有形文化財の銘板>



<本館(江戸期建築)の客室>


そして、どうも昔、白馬地域で最初のスキー場がこの小谷温泉にあったようなんですよ。
そのときのポスターがこれ↓(昭和初期の話らしい)



<在りし日の小谷温泉スキー場ポスター>


ここの2代前の御当主、山田寛さんって方が、長野県のスキー黎明期にスキーを広めた方だそうな。
で、古文書とか古い看板とか昔のスキーなどは同じ敷地内の資料館に収まっています。
↓資料館(宿泊者は見学無料でした、でも時間が無くて見れなかった)



<小谷温泉山田資料館>


とまあ、こんな感じの旅館でしたが、部屋にこのような書籍があって・・・



<『小谷温泉賛歌』の表紙>



<『小谷温泉賛歌』の奥付け>


パラパラ、っとめくったら、小谷温泉の歴史から、2代目の御当主山田寛さんのことが書かれた書籍で、これがなかなか面白そうだったのでチェックアウト時の購入してしまいました。
購入時におふくろが誕生日プレゼントだと称してお金を出してくれました(8月17日が誕生日でした)。ちなみに定価は税別で1800円です。
いま読んでいて、もうすぐ読み終わりますが、非常に面白い本でした。
由緒ある旅館の日常生活を含めた有り様を記した貴重な生の資料という感じです。

なお、泉質は上記書籍の276頁にある「温泉分析表 平成6年10月31日」によれば、

 陽イオン総量 778.7mg/kg (うち、Naイオン 707.8mg/kg、Caイオン 41.9mg/kg 他)
 陰イオン総量 2065mg/kg (うち、炭酸水素イオン 2007mg/kg、塩素イオン 57.6 mg/kg他)

で、ナトリウム・炭酸水素塩温泉に属します。
結構、イオン総量が多くてしっかりした濃いぃ温泉で、かつ炭酸水素イオンがメインで、硫酸イオンはほとんど入っていない、比較的皮膚にやさしい温泉って感じでした。

本館、新館、別館のいずれも泊まることができますが、
本館、新館は古い造りで廊下とはふすま一枚で仕切られています。
一方、昭和に建った別館はいわゆる今風の部屋の造りです。
予約時にどちらにしようか迷ったのですが、子連れということもあって、今風の造りの別館にしました。本館・新館に比べ、別館が少し割高になっています。

料理は、地の材料を使ったもので、いわゆる「旅館の料理」のようなゴージャス材料を使った感じではなく、地の材料を丁寧に料理した非常においしいものでした。
ぼくはゴテゴテした料理よりも、こっちのほうが好きですねぇ・・・

とまあ、こんな感じで非常にいい旅館に出会えてよかった・・・
うちの奥さまもおふくろさんも満足してくれました。

つづく

八方尾根(1)<家族旅行2013夏 その7>
http://d.hatena.ne.jp/damascus/20130910